平井万太郎
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平井 万太郎(萬太郎、ひらい まんたろう、1861年3月1日(文久元年1月20日[1])- 1929年(昭和4年)8月20日[1][2][3])は、明治から大正期の酒造家、政治家。衆議院議員、茨城県稲敷郡根本村長。
経歴
[編集]常陸国河内郡上根本村(新治県河内郡上根本村、茨城県[2]河内郡上根本村、根本村、稲敷郡根本村[1][3][4]、新利根村上根本[1]、新利根町を経て現稲敷市上根本)で酒造家の家に生まれた[4]。漢学、詩文、簿記を修め[2][3]、酒造業を営む[2][3]。
1886年(明治19年)大同団結運動に加わり[4]、のち立憲改進党に入党して自由民権運動を推進[4]。根本村会議員、郡徴兵参事員、根本村長に在任[2][3]。1890年(明治23年)茨城県会議員に選出され1895年(明治28年)まで在任した[1]。
1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(茨城県郡部、壬寅会)で当選し[5]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。1903年(明治36年)3月の第8回総選挙(茨城県郡部、帝国党)では落選した[5]。