岡部明一
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府堺市 |
生年月日 | 1962年10月13日(62歳) |
身長 体重 |
177 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1984年 ドラフト3位 |
初出場 | 1985年10月14日 |
最終出場 | 1993年10月14日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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岡部 明一(おかべ あきひと、1962年10月13日 - )は、大阪府堺市[1]出身の元プロ野球選手(外野手)。
来歴・人物
[編集]PL学園高では、1年下のエース西川佳明を擁し、1979年秋季近畿大会府予選決勝リーグ(4校)に進むが4位に終わる。翌1980年夏の甲子園府予選でも準々決勝に進出するが、近大附高に惜敗。
高校卒業後は中央大学へ進学。東都大学野球リーグでは在学中優勝に届かず、1984年秋季リーグでは二部降格も経験。しかし強打の外野手として活躍し、1983年の中央大学選手賞を獲得した。同年の日米大学野球選手権大会にも出場し、第4戦で2点本塁打を放ち日本の優勝に貢献[1]。リーグ通算59試合出場、181打数50安打、打率.276、7本塁打、21打点。ベストナイン1回。
1984年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから3位指名を受け入団[1]。入団当時は和製ソレイタと評価され即戦力として期待された。
1985年から一軍出場を果たし初本塁打も記録する。
1986年に右肘を故障し、オフに軟骨の除去出術を受ける。
1987年オフには早くもトレード要員に名前が挙がるが、交換要員の関係でトレードは流れる。
1988年には、先発出場52試合を含む自己最多となる95試合に出場し11本塁打を記録する。しかし打率は低迷し、翌年から西村徳文が外野手に回ったこともあって出場機会が減少。
1991年には8月から22試合に四番、指名打者として起用され、打率.275の好成績を記録する。
1993年11月に戦力外通告を受け現役を引退[1]。引退後はロッテスカウトに就任。
2005年に退団した。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1985 | ロッテ | 6 | 14 | 12 | 4 | 7 | 1 | 0 | 2 | 14 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | .583 | .643 | 1.167 | 1.810 |
1986 | 18 | 25 | 23 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 6 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 3 | 2 | .130 | .160 | .261 | .421 | |
1987 | 43 | 104 | 95 | 10 | 23 | 1 | 0 | 4 | 36 | 13 | 0 | 0 | 0 | 1 | 8 | 0 | 0 | 13 | 4 | .242 | .298 | .379 | .677 | |
1988 | 95 | 232 | 208 | 18 | 49 | 7 | 0 | 11 | 89 | 36 | 1 | 0 | 1 | 3 | 19 | 1 | 1 | 16 | 6 | .236 | .299 | .428 | .727 | |
1989 | 45 | 63 | 54 | 4 | 8 | 1 | 0 | 2 | 15 | 12 | 0 | 0 | 1 | 2 | 6 | 0 | 0 | 9 | 1 | .148 | .222 | .278 | .500 | |
1990 | 5 | 10 | 8 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 3 | 0 | .250 | .400 | .250 | .650 | |
1991 | 31 | 77 | 69 | 10 | 19 | 2 | 0 | 1 | 24 | 8 | 1 | 0 | 1 | 0 | 7 | 0 | 0 | 8 | 1 | .275 | .342 | .348 | .690 | |
1992 | 9 | 35 | 34 | 2 | 7 | 2 | 0 | 1 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .206 | .229 | .353 | .582 | |
1993 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:9年 | 254 | 562 | 505 | 51 | 118 | 14 | 0 | 22 | 198 | 78 | 2 | 0 | 3 | 7 | 46 | 2 | 1 | 56 | 14 | .234 | .295 | .392 | .687 |
記録
[編集]- 初出場:1985年10月14日、対西武ライオンズ25回戦(川崎球場)、8回裏に袴田英利の代打として出場
- 初打席:同上、8回裏に東尾修から四球
- 初先発出場:1985年10月15日、対阪急ブレーブス26回(川崎球場)、9番・左翼手として先発出場
- 初安打・初本塁打・初打点:1985年10月18日、対日本ハムファイターズ24回戦(川崎球場)、7回裏に高沢秀昭の代打として出場、岡部憲章から2ラン
背番号
[編集]- 38 (1985年 - 1993年)
家族
[編集]長男の岡部拳門(けんと)は、早稲田摂陵高等学校[2]から九州共立大学を経て[3]、2020年に四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスに入団[4]。2021年シーズンで退団[5]後、同年オフに日本海オセアンリーグの滋賀GOブラックス(指名時点では「オセアン滋賀ブラックス」)にドラフト指名され[6]、2022年から所属している[7]。
脚注
[編集]- ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、118ページ
- ^ “元ロッテ岡部jr拳門は不屈の背番号1/大阪”. 日刊スポーツ. (2015年7月2日) 2022年4月2日閲覧。
- ^ 2019年度ドラフト候補一覧 - スポーツニッポン(2022年4月2日閲覧)
- ^ 高知FD 特別合格選手及びドラフト指名選手入団合意のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2020年1月10日)2022年4月2日閲覧。
- ^ 高知FD 退団選手のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2021年10月13日)2022年4月2日閲覧。
- ^ 日本海オセアンリーグドラフト会議2021 指名選手のお知らせ - ベースボール・チャレンジ・リーグ(2021年11月4日)2022年4月2日
- ^ 滋賀GOブラックス [@oceanshiga] (2022年2月13日). "#BLACKS選手紹介 新加入の #岡部拳門 選手". X(旧Twitter)より2022年4月2日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 岡部明一 - NPB.jp 日本野球機構