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岡崎哲郎

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岡崎 哲郎(おかざき てつろう、1885年明治18年)5月23日[1] - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚

経歴

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宮城県出身。1912年(明治45年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、翌年に高等文官試験に合格した[1]栃木県塩谷郡長。同理事官を務めた[1]1919年大正8年)、朝鮮総督府事務官に転じ、平安南道財務部長、殖産局水産課長、同山林課長、総督官房会計課長、専売局製造課長、殖産局商工課長、全羅南道内務部長、慶尚北道内務部長、朝鮮総督府山林部長を歴任[1][2]1931年(昭和6年)、忠清南道知事となり、1935年(昭和10年)に慶尚北道知事に転じた[1][2]

1936年(昭和11年)に退官した後は日本赤十字社朝鮮本部常務副総長を務め、1939年(昭和14年)に退任[3]。その後は朝鮮畜産株式会社社長を務めた[3]

親族

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脚注

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参考文献

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  • 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版(上)』人事興信所、1937年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。