山下重明
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山下 重明 やました しげあき | |
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生年月日 | 1917年7月21日 |
出生地 | 富山県 |
没年月日 | 1992年3月21日(74歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法学部 |
山下 重明(やました しげあき、1917年7月21日 - 1992年3月21日)は、日本国の元外交官。
経歴
[編集]- 1917年、富山県出身。
- 東京高等師範学校附属小学校・中学校(現・筑波大学附属小学校/筑波大学附属中学校)で学ぶ。この東京高等師範学校附属学校時代の友人に村山雅美(登山家・南極観測隊隊長)が居た[1]。
- 東京帝国大学時代の1939年に第49回高等文官試験を受け合格し、外務省に入省。初任地は満洲国[2]。
- 第二次世界大戦戦後も外交官として活動。本省では大臣官房領事移住部長[3]、海外公館ではマラヤ連邦参事官、アイルランド、ブルガリア人民共和国、チリ[1]の三ヶ国で特命全権大使を務めた。
- チリ大使時代には『技術協力に関する日本国政府とチリ共和国政府との間の協定』の調印を日本代表として行った[4]。
- 1992年3月21日死去。墓所は多磨霊園[5]。
逸話
[編集]山下はブルガリア人民共和国特命全権大使時代に当地で1970年バレーボール世界選手権が開催された際、その大会で銅メダルを獲得したバレーボール日本男子代表を応援のために夫人と共に試合を観戦した。その試合で日本チームの選手たちがサインプレーの暗号として「おにぎり」という言葉を使っていたのを耳にし、後日、「試合中に『おにぎり』を盛んに言っていたから、おにぎりが食べたいのだろう」と思って日本男子代表チームにおにぎりを差し入れたという[6]。
栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 吉田栄夫「村山雅美元国立極地研究所次長を悼む」『南極資料』第51巻第1号、国立極地研究所、2007年3月、CRID 1395009224683625600、doi:10.15094/00009389、ISSN 0085-7289。
- ^ 文官高等試験合格者一覧 日本の歴史学講座
- ^ 第61回国会 衆議院内閣委員会 第5号 昭和44年2月27日 国会会議録
- ^ ○技術協力に関する日本国政府とチリ共和国政府との間の協定 国際協力事業団
- ^ 山下重明 歴史が眠る多磨霊園
- ^ 五輪を制した「1人時間差」 第8回 森田淳悟 (PDF) 笹川スポーツ財団
- ^ 叙位裁可書・昭和十九年・叙位巻七十六・定期叙位 国立公文書館デジタルアーカイブ