尹善道
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尹 善道(ユン・ソンド、朝鮮語:윤선도、1587年6月22日 - 1671年6月11日)は、李氏朝鮮の詩人、歌人、文臣、政治家、性理学者。第1次礼訟論争における南人の強硬派の1人である。本貫は海南尹氏[1]。字は約而、号は孤山・海翁、諡号は忠憲。
人物
[編集]漢城府出身。独学で苦学し、1612年に進士試験に及第した。光海君に上訴したことで、咸鏡北道に流刑となる。 1623年の仁祖反正で光海君が失脚することで赦免された。1628年に科挙に及第し、仁祖の王太子鳳林大君の王子師傅(教育係)となり、曹参議や同副承旨などを歴任したが政争に嫌気がさし、官職を辞して帰郷した。丙子の乱では招集に遅れ、咸鏡北道に1年間流刑となる。1649年に即位した孝宗に招聘されたが、1660年に西人らによって排斥され、咸鏡南道に流刑となる。1665年に顕宗に赦免されし、全羅南道南海の孤島甫吉島に楽書斎と名づけた書斎を築き、余生を過ごした。
時調の代表作に『山中新曲』、『続山中新曲』、『漁夫四時詞』などがある。
著作
[編集]- 『孤山先生遺稿』
- 『別集』
- 『薬和剤』
- 『癬瘡薬』
- 『蛔虫薬』
- 『咳嗽薬』
- 『腹虐神方』
- 『牛疫神方』
- 『五仙酒方』
脚注
[編集]- ^ “윤선도(尹善道)”. 韓国民族文化大百科事典. 2022年10月25日閲覧。
参考文献
[編集]- 金素天 著『韓国史のなかの100人』明石書店 2002年 ISBN 4-7503-1607-5
- 李徳一 著『党争で見る朝鮮歷史』2004年12月 石筆 ISBN 8980370369
- 李徳一 著『宋時烈と彼らの国家』2000年9月 石筆 ISBN 9788934905028