小林正巳
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小林正巳 こばやし まさみ | |
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生年月日 | 1929年4月15日 |
出生地 | 兵庫県 |
出身校 | 慶應義塾大学経済学部 |
前職 | 毎日新聞社社員 |
所属政党 |
(自由民主党→) (新自由クラブ→) 無所属 |
選挙区 | 兵庫3区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1972年12月11日 - 1979年9月7日 |
小林 正巳(こばやし まさみ、1929年4月15日[1][2] - )は、日本の政治家。元衆議院議員(2期)。自由民主党時代は田中派に所属していたが、新自由クラブの結党に参加した[3]。父・小林絹治は自由党、自由民主党所属で衆議院議員を3期務めており[4]、2世議員であった。
経歴
[編集]兵庫県生まれ。1951年、慶應義塾大学経済学部卒業後[5]、毎日新聞社入社。政治部副部長を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙兵庫3区から自由民主党から出馬し、初当選[6]。
1976年、河野洋平、田川誠一、西岡武夫、山口敏夫、有田一寿と自民党を離党、新自由クラブを結成し政策委員長に就任。
1979年7月、新自由クラブ訪朝団長として、北朝鮮を訪問[7]。近畿大学法学部非常勤講師[5]。同年10月の第35回衆議院議員総選挙で落選。
1980年の第36回衆議院議員総選挙で返り咲きを狙うも落選。
1983年の第37回衆議院議員総選挙には、自民党河本派の支援を受け、無所属で出馬したが、落選[6]。その後、政界を引退した[8]。
脚注
[編集]- ^ さらば自民党 河野新党と六人のサムライ
- ^ “池田大作 : 現代人物論 小林正巳著”. 国立国会図書館. 2012年3月閲覧。
- ^ 岩見隆夫 (2012年7月7日). “近聞遠見:「離散」の歴史ではないか”. 毎日新聞(東京朝刊) 2012年10月3日閲覧。
- ^ “小林絹治”. 国会議員白書 菅原啄. 2012年10月3日閲覧。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』衆議院、1990年11月、P.246
- ^ a b “浮沈(新自ク・決算書 挑戦と挫折と:4) カネ作り嫌う“美学” 落選続き政界引退”. 朝日新聞(朝刊): p. 2. (1986年10月19日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “朝鮮民主主義人民共和国 1979年 重要日誌 7月”. 日本貿易振興機構. 2012年10月3日閲覧。
- ^ 渡海紀三朗. “旅立ち、新党さきがけ結成”. 渡海紀三朗. 2012年10月3日閲覧。