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小林正巳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小林正巳
こばやし まさみ
生年月日 1929年4月15日
出生地 兵庫県
出身校 慶應義塾大学経済学部
前職 毎日新聞社社員
所属政党自由民主党→)
新自由クラブ→)
無所属

日本の旗 衆議院議員
選挙区 兵庫3区
当選回数 2回
在任期間 1972年12月11日 - 1979年9月7日
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小林 正巳(こばやし まさみ、1929年4月15日[1][2] - )は、日本政治家。元衆議院議員(2期)。自由民主党時代は田中派に所属していたが、新自由クラブの結党に参加した[3]。父・小林絹治自由党自由民主党所属で衆議院議員を3期務めており[4]、2世議員であった。

経歴

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兵庫県生まれ。1951年、慶應義塾大学経済学部卒業後[5]毎日新聞社入社。政治部副部長を経て、1972年第33回衆議院議員総選挙兵庫3区から自由民主党から出馬し、初当選[6]

1976年、河野洋平田川誠一西岡武夫山口敏夫有田一寿と自民党を離党、新自由クラブを結成し政策委員長に就任。

1979年7月、新自由クラブ訪朝団長として、北朝鮮を訪問[7]近畿大学法学部非常勤講師[5]。同年10月の第35回衆議院議員総選挙で落選。

1980年の第36回衆議院議員総選挙で返り咲きを狙うも落選。

1983年の第37回衆議院議員総選挙には、自民党河本派の支援を受け、無所属で出馬したが、落選[6]。その後、政界を引退した[8]

脚注

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  1. ^ さらば自民党 河野新党と六人のサムライ
  2. ^ 池田大作 : 現代人物論 小林正巳著”. 国立国会図書館. 2012年3月閲覧。
  3. ^ 岩見隆夫 (2012年7月7日). “近聞遠見:「離散」の歴史ではないか”. 毎日新聞(東京朝刊). http://mainichi.jp/opinion/news/20120707ddm002070054000c.html 2012年10月3日閲覧。 
  4. ^ 小林絹治”. 国会議員白書 菅原啄. 2012年10月3日閲覧。
  5. ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』衆議院、1990年11月、P.246
  6. ^ a b “浮沈(新自ク・決算書 挑戦と挫折と:4) カネ作り嫌う“美学” 落選続き政界引退”. 朝日新聞(朝刊): p. 2. (1986年10月19日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  7. ^ 朝鮮民主主義人民共和国 1979年 重要日誌 7月”. 日本貿易振興機構. 2012年10月3日閲覧。
  8. ^ 渡海紀三朗. “旅立ち、新党さきがけ結成”. 渡海紀三朗. 2012年10月3日閲覧。