守屋美賀雄
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守屋 美賀雄(もりや みかお、1906年3月 - 1982年10月18日)は、日本の数学者。高木貞治門下の一人。専攻は整数論。父親は守屋荒美雄(すさびお)で、帝国書院、関東第一高等学校、吉祥女子中学校・高等学校の創立者。洗礼名は「ミカエル」。理学博士。1949年から始まったイールズ声明(1949年連合国総司令部民間情報教育局最高教育顧問官イールズが全国の大学をまわって、講演の中で共産主義者を大学から追放すべきだと主張していた)では、1949年5月15日に北海道大学でイールズの講演に対し、カトリック信者として真っ向から反対している。
経歴
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- 1923年 東京開成中学校卒業
- 1926年 第一高等学校卒業
- 1929年 東京帝国大学理学部数学科卒業
- 1931年10月 ドイツのマールブルク大学へ留学、ヘルムート・ハッセの下で学ぶ
- 1934年3月 ドイツより帰国し、直ちに北海道帝国大学(現・北海道大学)理学部数学科助教授
- 1938年 帝国第一高等女学校(現・吉祥女子中学校・高等学校)の初代理事長に就任(設立者)
- 1941年 北海道大学理学部数学科教授
- 1950年5月 岡山大学理学部数学科教授
- 1957年8月 東京大学教養学部教授
- 1965年3月 東京大学定年退官
- 1965年4月 上智大学理工学部数学科教授(数学科新設により)
- 1968年11月12日〜1975年3月31日 上智大学第6代学長
- 1971年1月 ローマ教皇庁より大聖グレゴリウス勲章受章
学位
[編集]- 1938年 理学博士(東京大学)