コンテンツにスキップ

おおすみ正秋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大隅正秋から転送)
おおすみ まさあき
おおすみ 正秋
本名 大隅 正秋
生年月日 (1934-11-26) 1934年11月26日(90歳)
出生地 日本の旗 日本 兵庫県
職業 アニメ映画監督演出家
ジャンル テレビアニメ
アニメーション映画
主な作品

テレビアニメ


アニメーション映画

テンプレートを表示

おおすみ 正秋(おおすみ まさあき、1934年11月26日[1] - )は、日本の演出家映画監督である。旧表記・本名は大隅 正秋(読みは同じ)。兵庫県出身。東京工科大学大学院メディア学研究科メディア学専攻修士課程修了東京工科大学片柳研究所クリエイティブアドバイザー。

人物・略歴

[編集]

1934年(昭和9年)、兵庫県芦屋市に生まれる。

兄とともに人形劇団「神戸人形芸術劇場」を主宰。人形劇の「ひとみ座」出身者の藤岡豊らが結成した東京ムービーに参加してからはアニメの演出を手がけるようになり、その初期に活躍した。

その後、日本テレビ動画の『アニメドキュメント ミュンヘンへの道』(1972年)、創映社の『ラ・セーヌの星』(1975年)や『ろぼっ子ビートン』(1976年 - 1977年)、NHK『子鹿物語』(1983年)、劇場用アニメ映画『走れメロス』(1992年)なども手がけた。一方、『劇団飛行船』などで「マスクプレイミュージカル」と称する着ぐるみミュージカルなども手がけている。

1996年(平成8年)には世界初のバーチャルアイドルとしてデビューした「伊達杏子」の開発に携わった。[2]

2003年(平成15年)、東京工科大学に新設された大学院メディア学研究科メディア学専攻(現・バイオ・情報メディア研究科メディアサイエンス専攻)修士課程(現・博士前期課程)に、漫画家で『ルパン三世』原作者のモンキー・パンチとともに入学、コンピューターアニメーションを研究する。2005年(平成17年)、同課程を修了し[3]、同年、同大学の片柳研究所のクリエイティブアドバイザーに就任した。

交友関係

[編集]

アニメーション監督の富野由悠季を自分に近い感覚を持つ人物として評価しており、後述の『ムーミン』でコンテマンとして起用したり、総監督をした『ラ・セーヌの星』の終盤1クールの演出を任せるなどしている。また富野もおおすみに好感を抱いており、『ムーミン』の依頼には二つ返事で応じたことを明かしている[4]

手法

[編集]

高畑勲と同じく絵コンテを描かず口頭で伝える手法をとる。『走れメロス』で制作に加わった沖浦啓之は実質的に絵コンテを担当し、このことが自分のなかで大きな変化になったと語っている。

東京ムービー作品での降板劇

[編集]

ムーミン

[編集]

ムーミン』(フジテレビ系)の演出を担当するが、ストーリーやキャラクター設定が原作から逸脱していると原作者サイドからクレームが付いた事や製作サイドの赤字問題も重なり、第26話で制作会社が東京ムービーから虫プロダクションに変更になっている。その後の『新ムーミン』は全編虫プロが制作。東京ムービー時代とはキャラクター設定や基本プロットなどテイストの異なる作品となった。

1990年、テレスクリーンによって『楽しいムーミン一家』(テレビ東京系)が制作され、ムーミンキャラクター社がこの作品のみ「アニメ版ムーミンの世界標準」として公認。旧作の版権を持つ瑞鷹もこれを受諾し、国内においても旧作は再放送やソフト化が自粛され、事実上の「封印作品」となっている。

ルパン三世

[編集]

ルパン三世 (TV第1シリーズ)』では前半の演出(監督)を担当、その都会的センスとスタイリッシュな映像作り、さらに「勧善懲悪という図式にとらわれた、子供向け」という従来のテレビアニメの制作体制に対する大隅自身の懐疑的な思想から生まれたピカレスクかつ頽廃的、シニカルな作品世界にはいまだに支持者も多い。しかし、本放送時には低視聴率に苦しみ、テレビ局からの対象年齢を下げるようにとの要求を飲むことができずに第3話の放映後に降板。その後の演出は作画監督・大塚康生の東映動画時代の知己でもある高畑勲宮崎駿のコンビ(「Aプロダクション演出グループ」名義)に引き継がれた。TV第1シリーズ第1話で出てくる、峰不二子の逮捕状の裁判官名が“大正秋”となっている。

クレジット上は1-6話、9話、12話までが大隅の演出と表記されているが、実際には多少、高畑・宮崎二人の手が入っているものもある(放映順と製作順は異なる)。また、7話と10、11話も、もともと大隅が残した未完成の作品に程度の差こそあれ、両者が手を入れたものである。

高畑・宮崎コンビに代わってシニカルなハードボイルド路線から、よりコミカルでチームワークを基調とした路線へと変更したものの視聴率は伸び悩み、結局2クールで打ち切りとなっている。以来、東京ムービーと疎遠になったものの、1975年から1976年にかけて日本各地で何度も再放送され作品の再評価につながり、第2シリーズの制作が決定した。

峰不二子の声優がパイロット版2作では増山江威子なのに対し、第1シリーズでは二階堂有希子になった理由は「ルパンが不二子に挑みかかる場面があるんですよ。ところがその場面になるとシーンとしちゃって」「『どうしたの?』って聞くと『どうしてもできません』って」と、増山がお色気シーンをできなかったため仕方なく変更したと発言している[5]

その後、第1シリーズ放送から22年後の1993年7月23日に放送されたTVスペシャル『ルパン暗殺指令』で東京ムービー側からの関係修復の呼びかけに応えて監督を務めている。

参加作品

[編集]

テレビアニメ

[編集]

東京ムービー時代

[編集]

フリー時代

[編集]

劇場アニメ

[編集]

東京ムービー時代

[編集]

フリー時代

[編集]

OVA

[編集]
  • ヤング・シェヘラザード (2004年) - 監督

テレビドラマ

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 日本映画監督協会
  2. ^ 「ムーミン」監督 おおすみ正秋さん、おやじ狩り被害”. スポーツニッポン新聞社. 2019年5月1日閲覧。
  3. ^ おおすみ正秋の公式サイト「おおすみ正秋の仕事場」の記述を参照。
  4. ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P60、126。
  5. ^ ルパン三世連載開始35周年記念スペシャル企画!モンキー・パンチ、大塚康生、おおすみ正秋、納谷悟朗、特別対談」『ルパン三世officialマガジン』、双葉社、2002年8月。
  6. ^ a b 会員名鑑”. 日本映画監督協会. 2019年5月1日閲覧。

外部リンク

[編集]