コンテンツにスキップ

大聖堂 (レイモンド・カーヴァーの小説)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大聖堂』(だいせいどう、原題:Cathedral)は、アメリカ小説家レイモンド・カーヴァー短編小説

概要

[編集]

『アトランティック・マンスリー』1981年9月号に掲載された。1983年9月15日刊行の短編小説集『大聖堂』(クノップフ社)に収録。生前に出版された精選作品集『Where I'm Calling From: New and Selected Stories』(アトランティック・マンスリー・プレス、1988年5月)にも収録された。

本作品は『ベスト・アメリカン・ショート・ストーリーズ 1982』(ホートン・ミフリン社)に選ばれている。同書1982年版のゲスト編集者はカーヴァーの師であるジョン・ガードナーであったが、ガードナーは同年9月14日にオートバイ事故により亡くなっている。

盲人ロバートにはモデルがある。カーヴァーのパートナーのテス・ギャラガーの友人、ジェリー・キャリヴォーは生まれたときから目が見えなかったが、シアトルの警察署の調査開発課という部署に勤めていた。テス・ギャラガーはその部署で1970年に1年間ばかり彼の部下として働いていたことがあった[1]。カーヴァーがニューヨーク州シラキュース大学で教鞭をとっていた頃、キャリヴォーはシラキュースに住むカーヴァーとテスを訪ね、それが本作品のアイデアのもととなった[2]

ボブ・エーデルマンの写真集『Carver Country: The World of Raymond Carver』(チャールズ・スクリブナーズ・サンズ、1990年9月7日)には、本作品の一節と共にジェリー・キャリヴォーの写真が収められている[3]

日本語版

[編集]
  • 日本語版は『』1983年5月号が初出。翻訳は村上春樹。それから間もなくして、村上が作品のセレクトを行った短編集『ぼくが電話をかけている場所』(中央公論社、1983年7月25日)に収録される。カーヴァーの死後、中央公論社は個人全集の刊行を始めるが、本作品を収録した『大聖堂』は最初に配本された(1990年5月20日刊行)。12編の作品から成る『Carver's Dozen レイモンド・カーヴァー傑作選』(中央公論社、1994年12月7日)にも収録されている。
  • 訳者の村上は本作品に「カセドラル」というルビをふっているが、短編集『大聖堂』にはルビはふっていない。本稿のよみがなは、便宜上短編集とあわせて「だいせいどう」とした。
  • 最後の文章「"It's really something," I said.」を村上は「『たしかにこれはすごいや』と私は言った」と訳したが、『Carver's Dozen レイモンド・カーヴァー傑作選』(1994年)版のみ、「『まったく、これは』と私は言った」に変えている。この変更についての読者からの問い合わせに対し、村上は次のように述べている。「あとになって読み直すたびに、『これはちょっと違う。やはり訳しすぎたんじゃないか』という思いを抱きつづけていました(僕はけっこう長く物事にこだわる性格なのです)。それで、僕として今では『まったく、これは』というクールな言葉遣いの方が、長い距離をとって眺めてみれば、よりカーヴァーの世界に近いと感じています」[4]

あらすじ

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『カーヴァー・カントリー』中央公論社、1994年10月7日、村上春樹訳、14頁。テス・ギャラガーの序文より。
  2. ^ キャロル・スクレナカ 『レイモンド・カーヴァー 作家としての人生』中央公論新社、2013年7月10日、星野真理・訳、550頁。
  3. ^ 『カーヴァー・カントリー』前掲書、122-125頁。
  4. ^ 村上春樹・安西水丸スメルジャコフ対織田信長家臣団朝日新聞社、2001年4月、読者&村上春樹フォーラム203。