大山義年
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大山 義年(おおやま よしとし、1903年(明治36年)8月2日 - 1977年(昭和52年)7月16日)は、昭和時代の日本の化学工学者。東京工業大学名誉教授。
経歴・人物
[編集]茨城県水戸市に生まれる[1][2]。麻布中学校、水戸高等学校を経て、東京帝国大学工学部造兵学科へ入学[2]。化学機械を修め、恩師の大河内正敏の勧めで理化学研究所に入る[2]。その後、1931年(昭和6年)台北帝国大学に赴任し、粉体工学の研究を行い、1940年(昭和15年)東京工業大学化学工学科助教授を経て、1942年(昭和17年)同大学教授、1958年(昭和33年)東京大学応用微生物研究所教授兼任、1960年(昭和35年)東京工業大学原子炉研究施設長、さらに1962年(昭和37年)より2年間同大学第6代学長を務める[1][2][3]。1966年(昭和41年)定年退官、同名誉教授[3]。
1973年(昭和48年)勲二等旭日重光章受章[4]。1974年(昭和49年)に国立公害研究所初代所長に就任[1]。同年、原子力船むつの放射能漏洩問題調査委員会の委員長を務めた[3]。ほかペニシリン国産化のパイロットプラントの設計、ウラン濃縮の実用化、低圧式酸素製造装置の実用化などの功績がある[1][2][3]。
その他、化学工学協会(現:公益社団法人化学工学会)の第12代会長(1959年 - 1961年)、日本原子力学会の第10代会長(1977年5月16日 - 同年7月)、低温工学協会会長、日本化学会会長などを歴任した[3][5][6]。
著作
[編集]- 共著
- 『化学工学講座 第11』共立社、1936年。
- 『化学工学設計計算分離及び混合』丸善、1954年。
- 『化学工学 第2』岩波書店、1963年。
- 『化学工学 第3』岩波書店、1963年。
親族
[編集]脚注
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