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国分 (市川市)

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日本 > 関東地方 > 千葉県 > 市川市 > 国分 (市川市)
国分
市川北インターチェンジ
国分の位置(千葉県内)
国分
国分
国分の位置
北緯35度44分37.26秒 東経139度54分59.17秒 / 北緯35.7436833度 東経139.9164361度 / 35.7436833; 139.9164361
日本の旗 日本
都道府県 千葉県
市町村 市川市
人口
2017年(平成29年)9月30日現在)[1]
 • 合計 6,246人
等時帯 UTC 9 (日本標準時)
郵便番号
272-0834[2]
市外局番 047[3]
ナンバープレート 市川

国分(こくぶん)は千葉県市川市にある地名。現行行政地名は国分一丁目から国分七丁目。郵便番号は272-0834[2]下総国分寺の置かれた場所である。

地理

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市川市北部に位置する。地域内は住宅街と林、農地が混在しており、下総国分寺等の寺社が所在する。主には外環道以西の低地(1〜4丁目)は古くからの住宅街、高台(4,5丁目)は畑を中心とした農地や山林、外環道以東(6,7丁目)は北部に位置する堀之内と同様、水田を転換した畑が広がっている。

東部には東京外環自動車道が通り市川北インターチェンジが置かれている。また、市内の菅野八幡真間などと共に文学者や小説家、作家に縁のある地で、小説家・劇作家である井上ひさしが居住していた。

一丁目に東京東信用金庫市川支店、三丁目に下総国分寺、四丁目に和洋国府台女子中学校、六丁目に市川国分郵便局がある。

東は東国分、西は国府台、南は須和田真間、北は中国分堀之内と接している。

地価

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住宅地の地価は、2024年令和6年)1月1日公示地価によれば、国分1-6-14の地点で19万1000円/m2となっている。[4]

歴史

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沿革

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  • 1869年(明治2年) - 葛飾県葛飾郡国分村となる。
  • 1871年(明治4年) - 廃藩置県、県の統合により印旛県葛飾郡国分村となる。
  • 1873年(明治6年) - 県の統合及び、郡の分割により千葉県東葛飾郡国分村となる。
  • 1889年(明治22年) - 東葛飾郡須和田村、曽谷村、稲越村、下貝塚村と合併し、東葛飾郡五常村大字国分となる。
  • 1890年(明治23年)5月23日 - 五常村が国分村に村名を変更。東葛飾郡国分村大字国分となる。
  • 1934年(昭和9年)11月3日 - 市川町八幡町中山町と合併、市制施行。市川市大字国分となる。
  • 1951年(昭和26年)12月1日 - 市内の大字を町に変更。それに伴い、市川市国分町となる。
  • 1966年(昭和41年)4月1日 - 国分町の一部で住居表示施行。
  • 1971年(昭和46年)9月29日 - 国分町の残部で住居表示施行。市川市国分一丁目 - 八丁目となる。

地名の由来

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当地に置かれた「下総国分寺」から。

世帯数と人口

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2017年(平成29年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
国分一丁目 596世帯 1,367人
国分二丁目 596世帯 1,340人
国分三丁目 596世帯 1,476人
国分四丁目 395世帯 906人
国分五丁目 282世帯 664人
国分六丁目 95世帯 235人
国分七丁目 124世帯 258人
2,684世帯 6,246人

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]

丁目 番地 小学校 中学校
国分一丁目 全域 市川市立国分小学校 市川市立第二中学校
国分二丁目 全域
国分三丁目 全域
国分四丁目 1~6番 市川市立国府台小学校 市川市立第一中学校
7~22番 市川市立国分小学校 市川市立第二中学校
国分五丁目 全域 市川市立東国分中学校
国分六丁目 1~12番
14~16番
13番
17~25番
市川市立中国分小学校
国分七丁目 全域

施設

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下総国分寺南大門

脚注

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  1. ^ a b 町丁別人口(住民基本台帳)”. 市川市 (2017年10月10日). 2017年11月6日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月7日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  4. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  5. ^ 小・中学校の通学区域(学区)”. 市川市 (2017年9月28日). 2017年11月7日閲覧。