四季彩
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201系「四季彩」 | |
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基本情報 | |
運用者 | 東日本旅客鉄道 |
改造所 | 大井工場 |
改造年 | 2001年 |
改造数 | 1編成4両 |
運用開始 | 2001年8月4日 |
運用終了 | 2009年7月20日 |
投入先 | 豊田車両センター |
主要諸元 | |
編成 | 4両1編成(2M2T) |
軌間 | 1,067mm |
電気方式 | 直流1,500V |
四季彩(しきさい)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)が2001年から2009年まで保有していた鉄道車両で、ジョイフルトレインと呼ばれる車両の一種である。
概要
[編集]青梅線沿線のイメージアップを目的に豊田電車区(現・豊田車両センター)で訓練車として使用されていた201系4両編成1本(クハ201-134 モハ201-263 モハ200-263 クハ200-134)を展望型電車に改造し、2001年8月4日より運転を開始した。その後、愛称の公募が行われ、同年11月23日に「四季彩」(しきさい)の愛称が付けられた。改造内容を以下に示す。
- 座席配置ならびに側面窓の一部を変更
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車内
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クハ201-134
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モハ200-263
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モハ201-263
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クハ200-134
塗色
[編集]- 愛称の通り1両ずつ季節をテーマとしたデザインを採用。
- 旧塗色 奥多摩方から、
- 新塗色 2005年のリニューアル後は、編成で塗色を統一した。白色をベースに、多摩川の流れを表現した青色の横ラインが車体下半分に施された。また、季節が逆転し、絵柄が青梅線沿線にちなんだものに変更された。奥多摩方から、
運用
[編集]- 2001年:大井工場(現・東京総合車両センター)で改造され、7月30日に出場[2]、8月1日には高尾駅開業百周年記念イベントで展示された。 8月4日に青梅駅で出発セレモニーが行われ、「展望電車」として営業運転を開始した[3]。当日は青梅~奥多摩を数往復したのち、奥多摩発立川行きで運用を終了した。その後は土休日に青梅線立川~奥多摩、五日市線拝島~武蔵五日市の定期列車として運転。11月23日に一般公募により「四季彩」と命名[3]。併せて当初より予定していた車輌毎に異なるデザインのシールが貼り付けられ、ヘッドマークも取り付けられた。同年12月ダイヤ改正より、青梅線のみの運用になり、五日市線での定期運用は消滅。
- 2002年:10月12日から、南武線川崎から奥多摩までを結ぶ「川崎-奥多摩ハイキング号」での運転を開始。(以前は中原電車区所属103系)
- 2003年:6月14日、「塩山駅・山梨市駅・石和温泉駅・甲府駅開業100周年記念」イベントの一環で、「やまなし四季彩号」として中央本線塩山~甲府間の2往復運転された。また、翌日の15日には甲府駅で車両展示が行われた。8月3日、301系の引退イベントの一環で、高尾駅で車両展示が行われた。9月1日、前々日に発生した八高線103系の車両故障の影響で、八高線八王子~高麗川の定期列車を代走。
- 2004年:7月からモハ200-263の外装、方向幕、ヘッドマークが「ひまわり」から奥多摩に自生する「レンゲショウマ」に変更された。8月4・5日には臨時快速「四季彩高原号」を小淵沢~白馬で運転。全車座席定員制で、乗車券のほか指定席券が必要であった(改造車とはいえ、通勤型電車で指定席料金を徴収するのは珍しい)。
- 2005年:5月8日の営業運転を最後に、旧塗色での運転を終了。6月25日に行われた「三鷹駅・電車区開業75周年イベント」で、新塗色を一般に初披露。車体外装、ヘッドマークのデザインが一新された。7月2日から青梅線内の営業運転に復帰。
- 2007年:1月27日から立川~河口湖を「四季彩河口湖号」として運転(下り列車 河口湖到着後、定期普通列車として富士急行線内を1往復運転)。4月29日から、大宮~奥多摩の「むさしの奥多摩号」での運転を開始(以前は小山車両センター所属115系)。
- 2008年:5月24日、篠ノ井線長野~姨捨を「姨捨フォトトレイン四季彩号」として運転。
- 2009年:1月頃、前面車体色を背景にオレンジの文字で「W1」と書かれた編成札が取り付けられた。5月23日にJR東日本大宮総合車両センターで開催された「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」(現・「鉄道のまち大宮 鉄道ふれあいフェア」)にて、体験試乗列車として使用された。6月11日、当車両の引退を発表[4]。6月28日をもって定期運用が終了。通常のヘッドマークでの運転も最後となった。7月4・5日に三鷹~笹子(往路)、大月~三鷹(復路)、7月11・12日に立川~青梅、7月18・19・20日に立川~奥多摩で、さよなら運転を実施。前後で異なる特製ヘッドマークが取り付けられた。7月20日の運転をもって引退となった。3日後の23日、廃車のため長野総合車両センターへ回送された。
脚注
[編集]- ^ a b c 『RAIL FAN』第49巻第4号、鉄道友の会、2002年4月1日、9頁。
- ^ 『JR気動車客車編成表 02年版』 185頁
- ^ a b 『JR気動車客車編成表 02年版』 186頁
- ^ 『展望型電車「四季彩号」の“さよなら運転”を行ないます』(PDF)(プレスリリース)JR八王子支社、2009年6月11日 。
参考文献
[編集]- 「JR年表」『JR気動車客車編成表 '02年版』ジェー・アール・アール、2002年7月1日。ISBN 4-88283-123-6。