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善水寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
善水寺
本堂(国宝)
所在地 滋賀県湖南市岩根3518
位置 北緯35度0分23.2秒 東経136度6分45.2秒 / 北緯35.006444度 東経136.112556度 / 35.006444; 136.112556座標: 北緯35度0分23.2秒 東経136度6分45.2秒 / 北緯35.006444度 東経136.112556度 / 35.006444; 136.112556
山号 岩根山(いわねさん)[1]
院号 醫王院
宗派 天台宗
本尊 薬師如来秘仏重要文化財
創建年 和銅年間(708年 - 715年
開基 元明天皇(勅願)
正式名 岩根山醫王院善水寺
別称 和銅寺
札所等 西国薬師四十九霊場第47番
甲賀西国三十三所第21番
びわ湖百八霊場第93番
湖南三山
文化財 本堂(国宝
木造薬師如来坐像、木造梵天帝釈天立像、木造兜跋毘沙門天立像ほか(重要文化財)
公式サイト 岩根山 国宝 善水寺
法人番号 9160005002604 ウィキデータを編集
善水寺の位置(滋賀県内)
善水寺
善水寺
善水寺 (滋賀県)
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善水寺 元三大師堂
善水寺 庭園

善水寺(ぜんすいじ)は、滋賀県湖南市岩根[2]にある天台宗寺院山号は岩根山(いわねさん)。本尊薬師如来

常楽寺長寿寺とともに湖南三山の1つに数えられる[3]

歴史

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中世以前の沿革はあまり明らかでないが、伝承では奈良時代和銅年間(708年 – 715年)に元明天皇が国家鎮護の道場として建立し、和銅寺と称したという。

その後、平安時代の初期に最澄が入山して池から出てきた薬師如来を本尊として請雨の祈祷をし、天台寺院に改めた上で延暦寺の別院諸堂を建立したという。

桓武天皇が病気になった際、最澄が法力により当寺の霊水を献上したところ、たちどころに回復した。これによって天皇から岩根山善水寺の寺号を賜わったという。

その後に境内は広げられ、本堂のある地を中尾、清涼山を東尾、岩根山を西尾といい、塔頭が計26ヵ坊存在していた。なかでも岩根山は善覚院、中之坊、角之坊、岩蔵坊、持蓮坊、宝泉坊、角心坊、善明坊、浄心坊、大門坊、宝乗坊、実蔵坊の十二坊があった。これにより岩根山は十二坊山とも呼ばれた。

1953年昭和28年)に大雨により仁王門が流失した。

境内

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  • 本堂(国宝) - 南北朝時代の建立。近世の地誌類には貞治3年(1364年)または同5年(1366年)の建立とあり、様式的にもその頃のものと思われる。木造入母屋造檜皮葺、桁行(正面)7間、梁間(側面)5間の天台密教仏堂である(「間」は長さの単位ではなく柱間の数を意味する建築用語)。
  • 鐘楼
  • 元三大師
  • 庭園
  • 百伝弁才天
  • 善水元水 - 桓武天皇の病を治したとされる水。汲むことができる。
  • 六所権現社 - 祭神:伊勢春日八幡賀茂熱田鹿島の神を祀る。鎮守社。
  • 行者堂 - 1876年明治9年)に飯道寺岩本院行者堂を現在地に移す。
  • 庫裏
  • 観音堂 - 元禄9年(1696年)に東尾観音堂を現在地である中尾岩蔵院の跡地に移築する。
  • 地蔵堂

文化財

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国宝

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  • 本堂 附:厨子 1基

重要文化財

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滋賀県指定有形文化財

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湖南市指定有形文化財

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前後の札所

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西国薬師四十九霊場
46 桑実寺 - 47 善水寺 - 48 園城寺別所水観寺
甲賀西国三十三所
20 妙感寺 - 21 善水寺 - 22 大岡寺
びわ湖百八霊場
92 南照寺 - 93 善水寺 - 94 正福寺 

拝観情報

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  • 開門時間 - 9時から16時
  • 拝観料 - 600円

所在地

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〒520-3252 滋賀県湖南市岩根3518

交通アクセス

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駐車場

普通車30台、大型車4台

脚注

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  1. ^ 岩根山(十二坊山、甲賀山、嶽)・医王山 – 岩根山・善水寺などについて — 岩根山国宝善水寺
  2. ^ 近江国甲賀郡水口領岩根村内除地、滋賀県甲賀郡岩根村内岩根村、甲西町岩根
  3. ^ 湖南三山、多彩な晩秋”. 中日新聞. 中日新聞社. 2024年12月3日閲覧。
  4. ^ 高梨純次 「湖南市・善水寺金銅誕生釈迦立像について」『近江文化財論叢』四、2012年。高梨純次 『近江の古像』 思文閣出版、2014年8月1日、pp.37-50、ISBN 978-4-7842-1761-8

関連項目

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外部リンク

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