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呉汝綸

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呉汝綸
呉汝綸の肖像画(『清代学者象伝』)

呉 汝綸(ご じょりん、Wu Rulun1840年 - 1903年)は、末の文学者・教育家。字は摯甫。娘の呉芝芳は柯劭忞の妻。

安徽省安慶府桐城県(現在の安徽省銅陵市樅陽県会宮鎮)の出身。1864年挙人となった。翌1865年進士になり、内閣中書となった。曽国藩、後に李鴻章幕府に入り、直隷省深州冀州の知州を歴任した。両州に在任中に書院を開設し、自ら講義を行った。その後李鴻章の推薦で保定の蓮池書院の主講となったが、在任中には欧米の学問を積極的に取り入れた。1902年、京師大学堂(現在の北京大学)の総教習となり、日本に教育制度の視察に赴いた。帰国後は故郷に戻り、桐城小学堂を開いた。

著作

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  • 『易解説』
  • 『尚書故』
  • 『写定尚書』
  • 『夏小正私箋』
  • 『深州直隷州風土記』
  • 『東遊叢録』
  • 『呉摯甫文集』
  • 『呉摯甫詩集』
  • 『呉摯甫日記』
  • 『呉摯甫尺牘』
  • 『諭児書』
  • 『李文忠公海軍函稿』
  • 『古詩鈔二十巻附目』
  • 『呉摯甫先生函稿』
  • 『李文忠公事略』
  • 『桐城呉先生全書』
  • 『桐城呉先生遺書』