台湾府
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台湾府(たいわん-ふ)は、清朝にかつて存在した府。
鄭氏政権時代
[編集]鄭成功がオランダ勢力を駆逐し鄭氏政権を樹立すると、1661年(永暦15年)に承天府を設置、衙門を赤崁楼に設置し台湾南部を管轄した。1664年(永暦18年)から1683年(永暦37年)まで、台湾南部の2州(県より昇格)に加え、澎湖、南路及び北路の3司を管轄に置いた。
清国統治時代
[編集]1683年(康熙22年)、台湾を勢力下に置いた清朝は承天府を廃止、台湾府を設置し、台湾全島を管轄していた。しかし1875年(光緒元年)に台北府が設置されると台湾北部が管轄範囲から分離、1885年(光緒11年)の福建台湾省、1887年(光緒13年)の台南府設置により管轄範囲は縮小、台湾中部のみを管轄、重要政策事項は福建台湾等処承宣布政使司に移管されている。
日本統治時代
[編集]1895年(明治28年)、日清戦争の結果、日本に台湾が割譲されると、日本政府は台湾府を廃止、同時に台湾府を台湾県に変更している。
参考文献
[編集]- 劉寧顔編『重修台湾省通志』(台湾省文献委員会 1994年)