北猛夫
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きた たけお 北 猛夫 | |
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生年月日 | 1907年1月9日 |
没年月日 | 1979年9月1日(72歳没) |
出生地 | 日本・大阪府 |
国籍 | 日本 |
職業 | 美術監督、映画プロデューサー |
ジャンル | 映画 |
著名な家族 | 北辰雄(弟) |
北 猛夫(きた たけお[1]、1907年〈明治40年〉1月9日[2][3] - 1979年〈昭和54年〉9月1日[2][3])は日本映画の美術監督、プロデューサー、東宝ビルト代表取締役社長。日本映画・テレビ美術監督協会初代理事長。大阪府出身[2]。
概歴
[編集]初期は久保一雄を助手として活躍し、前紀は青柳信雄監督や実写版サザエさんシリーズを中心に、後期は本多猪四郎監督作品やゴジラシリーズ、特撮映画の本編美術監督として活躍する[1]。現代劇、時代劇を問わず、リアリティのある美術設計を得意とした[1]。
来歴
[編集]- 1926年[要出典] - 市岡中学を卒業し、日活に入社[2]。
- 1932年 - 日活を退社し、フリーとなる。
- 1933年 - 森岩雄の薦めで[要出典]PCLに入社[2]。
- 1940年 - 『燃ゆる大空』で特撮映画に初参加[2]。
- 1948年 - 東宝撮影所の美術部長。
- 1955年 - ワイド映画の研究のため渡米[2]。
- 1961年 - 東宝製作本部長。
- 1962年 - 東宝ビルト代表取締役社長。
担当作品
[編集]- 太平洋の鷲(1953年)
- さらばラバウル(1954年)
- ゴジラシリーズ[3]
- ゴジラ(1954年)
- ゴジラの逆襲(1955年)
- キングコング対ゴジラ(1962年)
- モスラ対ゴジラ(1964年)
- 三大怪獣 地球最大の決戦(1964年)
- 怪獣大戦争(1965年)
- 怪獣島の決戦 ゴジラの息子(1967年)
- 怪獣総進撃(1968年)
- ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃(1969年)
- サザエさん(1956年)
- 続・サザエさん(1957年)
- サザエさんの青春(1957年)
- サザエさんの婚約旅行(1958年)
- 美女と液体人間(1958年)
- サザエさんの結婚(1959年)
- サザエさんの新婚家庭(1959年)
- サザエさんの脱線奥様(1959年)
- サザエさんの赤ちゃん誕生(1960年)
- サザエさんとエプロンおばさん(1960年)
- 福の神 サザエさん一家(1961年)
- モスラ(1961年)
- 妖星ゴラス(1962年)
- 太平洋の翼(1963年)
- 青島要塞爆撃命令(1963年)
- 大盗賊(1963年)
- 海底軍艦(1963年)
- 宇宙大怪獣ドゴラ(1964年)
- 太平洋奇跡の作戦 キスカ(1965年)
- フランケンシュタイン対地底怪獣(1965年)
- ゼロ・ファイター 大空戦(1966年)
- フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ(1966年)
- キングコングの逆襲(1967年)
- 連合艦隊司令長官 山本五十六(1968年)
- 緯度0大作戦(1969年)
- 日本海大海戦(1969年)
- ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣(1970年)[3]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。
- 『映像メディア作家人名事典』日外アソシエーツ、1991年11月12日、197頁。ISBN 4816911111。
- 田中友幸『決定版ゴジラ入門』(第7刷)小学館〈小学館入門百科シリーズ142〉、1992年4月20日(原著1984年7月15日)。ISBN 4-09-220142-7。
- 井上英之『検証・ゴジラ誕生―昭和29年・東宝撮影所』朝日ソノラマ、1994年。ISBN 4257033940。