加稲
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加稲 | |
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北緯35度4分35.5秒 東経136度45分15.08秒 / 北緯35.076528度 東経136.7541889度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 弥富市 |
面積 | |
• 合計 | 0.27097307 km2 |
人口 (2015年(平成27年)10月1日現在)[WEB 2] | |
• 合計 | 136人 |
• 密度 | 500人/km2 |
等時帯 | UTC 9 (日本標準時) |
郵便番号 |
498-0047[WEB 3] |
市外局番 | 0567[WEB 4] |
ナンバープレート | 名古屋 |
地理
[編集]弥富市旧弥富町中央西部に位置する[1]。東は三好、西は栄南、南は富島、北は加稲九郎治に接する[1]。
歴史
[編集]町名の由来
[編集]人口の変遷
[編集]国勢調査による人口および世帯数の推移。
1995年(平成7年)[WEB 5] | 37世帯 160人 |
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2000年(平成12年)[WEB 6] | 42世帯 173人 |
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2005年(平成17年)[WEB 7] | 41世帯 154人 |
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2010年(平成22年)[WEB 8] | 53世帯 148人 |
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2015年(平成27年)[WEB 9] | 44世帯 136人 |
沿革
[編集]- 元禄15年 - 伊勢国桑名郡長島村在の伊藤九八郎が開発し、伊勢国桑名郡の伊勢長島藩領加稲新田となる[2]。
- 1880年(明治13年) - 愛知県海西郡加稲新田となる[2]。
- 1889年(明治22年) - 両国村大字加稲新田となる[2]。
- 1906年(明治39年) - 鍋田村大字加稲新田となる[2]。
- 1937年(昭和12年) - 鍋田村大字加稲となる[2]。
- 1955年(昭和30年) - 弥富町大字加稲となる[2]。
- 1970年(昭和45年) - 加稲九郎治の一部を編入する[2]。
- 2006年(平成18年)4月1日 - 弥富町大字加稲字一ノ割が弥富市加稲一丁目、字二ノ割が加稲二丁目、字三ノ割が加稲三丁目、字ニノ割が加稲四丁目となる[WEB 10]。
交通
[編集]- 愛知県道富島津島線[1]
施設
[編集]脚注
[編集]WEB
[編集]- ^ “愛知県弥富市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2022年12月12日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ “愛知県弥富市の郵便番号一覧”. 日本郵便. 2022年12月12日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧” (PDF). 総務省 (2022年3月1日). 2022年3月22日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 弥富市役所 総務部 総務課 行政グループ (2015年2月19日). “弥富市住所一覧 旧弥富町” (pdf). 弥富市. 2023年4月5日閲覧。
書籍
[編集]参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
関連項目
[編集]加稲九郎治 | ||||
栄南 | 三好 | |||
加稲 | ||||
富島 |