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偽経

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偽経(ぎきょう)、疑経あるいは疑偽経とは、中国や日本など漢訳大乗仏教圏において、漢訳された仏典を分類し研究する際に、サンスクリット原本あるいはチベット大蔵経にない経典に対して用いられた、歴史的な用語である。中国撰述経典という用語で表現される場合もあるが、同義語である。また、日本人による日本撰述経典も存在する。

沿革

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東晋317年 - 420年)の釈道安314年 - 385年)『綜理衆経目録 一巻』[注釈 1]中の『疑経録』に始まるとされる。偽経あるいは疑経として認定された経典類は、経録中で「疑経類(偽経類)」として著録され、それらは大蔵経に入蔵されることはなかった。それに対して、正しい仏典として認定されたものは真経として、大蔵経の体系を形成することとなった。

釈道安の時代には、雑多に翻訳された漢訳経典を整理する上で真経と偽経(疑経)とを厳に区分することは、最優先事であった[1]。しかしながら、偽経あるいは疑経と認定され、大蔵経に入蔵されなかったとは言え、これらの経典群が消え去ることはなかった。むしろ、盛んに読誦され、開版されて、今日まで伝わる経典は数多い。『父母恩重経』、『盂蘭盆経』、『善悪因果経』など、今日も折本形式で発売されている偽経類は、多く見られる。多くの経本に収録されている『延命十句観音経』なども偽経の一つである。

唐の智昇は730(開元18)年の『開元釈教録』において、当時までに漢訳された経典5048巻[注釈 2]のうち、偽経か真経かどうか疑わしいものについてその巻十八である「別録之八」の疑惑再評録に列挙している[2]

議論

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「現在の日本のある宗派の所依の経典、つまり根本聖典が、偽経(疑経)であるから、当該の宗派の立場は仏教の異端である」とする別の宗派からの非難がなされることがある[3]

比較的最近に発表されたものとしては『般若心経』が中国撰述であるという説がある。1992年米国のジャン・ナティエ(Jan Nattier、当時インディアナ大学準教授)は、鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』などに基づき、玄奘が『般若心経』をまとめ、それを更にサンスクリット訳したという説[4]を発表している。それに対して福井文雅が(福井文雅 1994)に於いて、また原田和宗(当時龍谷大学非常勤講師)が(原田和宗 2002)に於いて反駁している。

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関連書籍

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  • 牧田諦亮 『疑経研究』 臨川書店、1989年。ISBN 465301843X
  • 川口義照[12]『中国仏教における経録研究』 法藏館、2000年。ISBN 4831876356
  • 福井文雅「般若心経の研究史:現今の問題点」『仏教学』第36号、仏教思想学会、79-99頁、1994年12月。CRID 1520572357862706560doi:10.11501/4421118ISSN 0387026XNDLJP:4421118https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002309394-00 
  • 原田和宗「梵文『小本・般若心経』和訳」『密教文化』第2002巻、第209号、密教研究会、L17-L62頁、2002年。CRID 1390282680324077568doi:10.11168/jeb1947.2002.209_l17ISSN 02869837https://doi.org/10.11168/jeb1947.2002.209_l17 

注・出典

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注釈

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  1. ^ 道安録とも呼ぶ、佚書。
  2. ^ 後の一切経のほぼすべての部分。

出典

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  1. ^ 岡部和雄僧祐の疑偽観と抄経観」『駒澤大学佛教学部論集』第2巻、駒澤大学仏教学部、1971年12月、63上、CRID 1050845763162088704 
  2. ^ 京都国立博物館 2004, p. 303、一次文献は智昇 730
  3. ^ 創価学会教学部 編 『折伏教典』第七章 既成諸宗派と日蓮宗各派の批判 に大梵天王問仏決疑経という偽経を禅宗の原拠としているから仏教ではないと主張している。
  4. ^ Nattier, Jan (1992). “The Heart Sūtra: A Chinese Apocryphal Text?”. Journal of the International Association of Buddhist Studies: 153-223. https://journals.ub.uni-heidelberg.de/index.php/jiabs/article/download/8800/2707. 
    ナティエ, ジャン、訳:工藤順之、吹田隆道 (2009-03-30). “『般若心経』は中国偽経か?”. 三康文化研究所年報 37: 17-83. https://buddhism.lib.ntu.edu.tw/DLMBS/jp/search/search_detail.jsp?seq=586988. 
  5. ^ 桑原隲蔵 『老子化胡經』(1910年)、青空文庫収録
  6. ^ 長島優*「「老子化胡経」について」『佛教文化学会紀要』第2000巻第9号、佛教文化学会、2000年10月、278-299頁、CRID 1395001205322212096doi:10.5845/bukkyobunka.2000.278ISSN 0919-6943 (*佛教文化学会会員)
  7. ^ 小野嶋祥雄「『金剛三昧経』の成立背景――唐初期三一権実論争との関係を中心に――」『印度學佛教學研究』第67巻第2号、日本印度学仏教学会、2019年3月、718上、CRID 1390564227304431744doi:10.4259/ibk.67.2_718ISSN 00194344 
  8. ^ a b c d e f 蓑輪顕量「日本撰述の偽経について」『東アジア仏教学術論集』第8巻、東洋大学東洋学研究所、2020年2月、45-71頁、CRID 1390572174855201408doi:10.34428/00012582ISSN 2187-6983 
  9. ^ 藤田宏達「『觀無量壽經』の撰述問題」印度學佛教學研究 17 (2), 465-472, 1969 [ https://doi.org/10.4259/ibk.17.465 pdf]
  10. ^ 末木文美士『「観無量寿経」研究』東京大学東洋文化研究所 東洋文化研究所紀要 101号 p.163-225(L), 1986-11 pdf
  11. ^ 国際仏教学大学院大学の落合俊典教授は『観無量寿経』に対し次のように書いている――疑経の立場から眺望するとあまりにも見事に出来ているとしか言いようがないのである。矮小な疑経がもつ姑息な編成という性質は微塵も感じられない。首尾一貫とした思想を有した者が撰述したに違いないが、中国的一面と非インド的性格との奈辺に成立の場があったのか今後も容易にその謎の扉を開かないであろう。云々:『中国仏教における疑経:特に『観経』との関わりに於いて(浄土教の総合的研究)』佛教大学総合研究所紀要 1999(別冊)号 61-79 1999/03/25 [1] p.77
  12. ^ かわぐちぎしょう、1954 - 1999年、名古屋市生まれの曹洞宗僧侶。曹洞宗研究員、東海産業短大講師、愛知医療学院講師、国際医療管理専門学校講師、今池中日文化センター講師等を歴任。(当該書籍の著者紹介より)

関連項目

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