井上剛一
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井上 剛一 いのうえ ごういち | |
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井上剛一 | |
生年月日 |
1868年5月4日 (慶応4年4月12日) |
出生地 |
日本 紀伊国伊都郡学文路村 (現和歌山県橋本市) |
没年月日 | 1946年5月12日(78歳没) |
出身校 |
和歌山県師範学校卒業 英吉利法律学校 |
前職 | 弁護士 |
所属政党 |
憲政会 立憲民政党 |
井上 剛一(いのうえ ごういち、1868年5月4日(慶応4年4月12日[1]) - 1946年(昭和21年)5月12日[2])は、日本の弁護士・政治家で憲政会→立憲民政党所属の衆議院議員。
経歴
[編集]紀伊国伊都郡学文路村(現・和歌山県橋本市)に、水木重左衛門の二男に生まれ、井上又左衛門の養子となった[3]。和歌山県師範学校を卒業した後、1887年(明治20年)より英吉利法律学校(現・中央大学)で法学を学び、1889年(明治22年)に代言人試験に合格した[4]。浜松代言人組合に所属し、後には静岡弁護士会長や日本弁護士協会名誉理事に選ばれた[5]。
浜松市会議員、静岡県会議員を経て、1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。以後、当選回数は合計で4回を数えた。
その他に遠州電気鉄道株式会社取締役などを務めた[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 山田万作『岳陽名士伝』1891年。
- 新田宗盛『昭和五年度版 大日本人物史』帝国時事通信社、1929年。
- 『衆議院要覧(乙)昭和七年五月』衆議院事務局、1932年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。