コンテンツにスキップ

ヴィクトル・ドゥルラン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴィクトル・ドゥルラン
Victor Dourlen
生誕 1780年11月3日
フランス王国 ダンケルク
死没 (1864-01-08) 1864年1月8日(83歳没)
フランスの旗 フランス帝国 パリ
ジャンル クラシック
職業 作曲家、教育者

ヴィクトル=シャルル=ポール・ドゥルラン(Victor-Charles-Paul Dourlen, 1780年11月3日 - 1864年1月8日)は、フランス作曲家、音楽教師。

生涯

[編集]

ドゥルランはダンケルクに生まれた。1799年に19歳でパリ音楽院に入学した彼は、ゴセックボイエルデューに師事した。1800年に初等歌唱の講師となった彼は、1805年に恩師らの推挙によりローマ大賞へと出品してカンタータCupidon pleurant Psyché』で作曲の1等賞を獲得した。これに伴って彼はイタリアへと留学し、帰国後は『Philoclès』や『Limnoe』などのオペラを数曲作曲した[1]。彼は1816年和声学作曲の教授に就任し[2]1842年までこの職に留まった。彼の門下からはアンブロワーズ・トマ、ボイエルデューの息子、フランソワ・バザンアンリ・エルツアントワーヌ・マルモンテルフェリクス・ル・クーペアレクサンドル・ゴリアルイ・デジレ・ベゾッツィなどが輩出した。

ドゥルランはシャルル・シモン・カテルの方法論に基づく和声学の論文を記した音楽理論家として主に知られている[3]。中でも『Tractat d'acompanyament pràctic』(1834年)、『Tractat d'harmonia』(1838年)並びに『Méthode élémentaire pour le piano-forte』(1820年)は、参考文献として広く引かれている。

作品

[編集]

ドゥルランは9つのコミック・オペラ英語版、1曲のピアノ協奏曲、1曲のピアノ三重奏曲、ピアノソナタ、ヴァイオリンソナタ、フルートソナタなどを遺している[4]

脚注

[編集]

出典

  1. ^ Alexandre Choron, John S. Sainsbury (1827). A dictionary of musicians: from the earliest ages to the present time.. London: Sainsbury and Co.. pp. 215. https://books.google.co.jp/books?id=jnxHAAAAYAAJ&pg=PA215&dq=Victor Dourlen&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q=Victor Dourlen&f=false  OCLC 631811
  2. ^ Eddie, William Alexander Eddie (2007). Charles Valentin Alkan: His Life And His Music. England: Ashgate Publishing. pp. 219. ISBN 184014260X. https://books.google.co.jp/books?id=PobmJxkgHCMC&pg=PA219&dq=Victor Dourlen&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q=Victor Dourlen&f=false 
  3. ^ Pratt, Waldo Selden Pratt (1935). The History of Music: A Handbook and Guide for Students. New York: Forgotten Books. pp. 493. ISBN 144-004-295-0. https://books.google.co.jp/books?id=Duo64uuFN6gC&pg=PA493&dq=Victor Dourlen&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q=Victor Dourlen&f=false 
  4. ^ Nicolas Slonimsky, Oscar Thompson (1958). The international cyclopedia of music and musicians. New York: Dodd, Mead. pp. 468. https://books.google.co.jp/books?id=dHEkAQAAMAAJ&dq=Victor Dourlen&q=1816-42&redir_esc=y&hl=ja  OCLC 317520758

外部リンク

[編集]