マリーア・アデライデ・ダズブルゴ=ロレーナ
表示
マリーア・アデライデ・ダズブルゴ=ロレーナ Maria Adelaide d'Asburgo-Lorena | |
---|---|
サルデーニャ王妃 | |
| |
在位 | 1849年3月23日 - 1855年1月20日 |
出生 |
1822年6月3日 ロンバルド=ヴェネト王国 ミラノ |
死去 |
1855年1月20日(32歳没) サルデーニャ王国 トリノ |
埋葬 |
サルデーニャ王国 スペルガ大聖堂 |
結婚 |
1842年4月12日 ストゥピニージ |
配偶者 | サルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世 |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ハプスブルク=ロートリンゲン家 |
父親 | オーストリア大公ラニエーリ |
母親 | マリーア・エリザベッタ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ |
マリーア・アデライデ・ダズブルゴ=ロレーナ(Maria Adelaide d'Asburgo-Lorena, 1822年6月3日 - 1855年1月20日)は、ロンバルド=ヴェネト王国の副王であるオーストリア大公ラニエーリ(ライナー・ヨーゼフ)と、サルデーニャ王カルロ・アルベルトの妹マリーア・エリザベッタとの娘である。
生涯
[編集]1842年4月12日ストゥピニージにて、従兄のサルデーニャ王子ヴィットーリオ・エマヌエーレ(後のイタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世)と結婚した。マリーア・アデライデはイタリア統合前に亡くなったため、サルデーニャ王妃にはなったがイタリア王妃にはならなかった。
子女
[編集]ヴィットーリオ・エマヌエーレとは8子をもうけた。
- マリーア・クロティルデ(Maria Clotilde, 1843年 - 1911年) ナポレオン公ジョゼフ・シャルル・ポールと結婚
- ウンベルト(Umberto,1844年 - 1900年) ピエモンテ公(1849年 - 1878年)、イタリア王(1878年 - 1900年)
- アメデーオ(Amedeo,1845年 - 1890年) スペイン王(1871年 - 1873年)、アオスタ公(1845年 - 1890年)
- オッドーネ・エウジェーニオ・マリーア(Oddone Eugenio Maria, 1846年 - 1866年) モンフェッラート公
- マリーア・ピーア(Maria Pia,1847年 - 1911年) ポルトガル王ルイス1世と結婚
- カルロ・アルベルト(Carlo Alberto, 1851年 - 1854年) シャブレ公
- ヴィットーリオ・エマヌエーレ(Vittorio Emanuele, 1852年)
- ヴィットーリオ・エマヌエーレ(Vittorio Emanuele, 1855年) ジェノヴァ伯
マリーア・アデライデ・ダズブルゴ=ロレーナ
| ||
イタリア王室 | ||
---|---|---|
先代 マリア・テレーザ・ダズブルゴ=トスカーナ |
サルデーニャ王妃 1849年3月23日 – 1855年1月20日 |
空位 イタリアの統一による称号の変更 次代の在位者 マルゲリータ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァイタリア王妃として |