パプアニューギニアの首相
表示
パプアニューギニアの 首相 Prime Minister of Papua New Guinea | |
---|---|
任命 | エリザベス2世 |
初代就任 | マイケル・ソマレ |
創設 | 1975年9月16日 |
ウェブサイト | http://www.pm.gov.pg/ |
パプアニューギニアの首相は、パプアニューギニアの政府の長であり、パプアニューギニア国民議会(National Parliament of Papua New Guinea)において多数派の支持を得た政党や政党連合の指導者が、その地位に就く。
初代首相のサー・マイケル・ソマレは、国民同盟党の党首であり、3度に渡って首相を務めた。最後の政権の際には不正疑惑で訴追されたため、代行者を立てて権力を維持した。また、退任後には二重政府を形成したことでも知られる。
パプアニューギニアの首相の一覧
[編集]# | 氏名 | 就任 | 退任 | 政党 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | マイケル・ソマレ | 1975年9月16日 | 1980年3月11日 | パング党(Pangu Party)[1][2][3] | 第1次 |
2 | ジュリアス・チャン(Sir Julius Chan) | 1980年3月11日 | 1982年8月2日 | 人民進歩党(People's Progress Party)[1][2] | 第1次 |
3 | マイケル・ソマレ | 1982年8月2日 | 1985年11月21日 | パング党 | 第2次 |
4 | パイアス・ウィングティ(Paias Wingti) | 1985年11月21日 | 1988年12月4日 | 人民民主運動(People's Democratic Movement)[1][2] | 第1次 |
5 | ラビー・ナマリウ(Sir Rabbie Namaliu) | 1988年12月4日 | 1992年7月17日 | パング党 | |
6 | パイアス・ウィングティ | 1992年7月17日 | 1994年8月30日 | 人民民主運動 | 第2次 |
7 | ジュリアス・チャン | 1994年8月30日 | 1997年3月27日 | 人民進歩党 | 第2次 |
- | ジョン・ギヘノ(John Giheno) | 1997年3月27日 | 1997年6月2日 | 人民進歩党 | 首相代行 |
8 | ジュリアス・チャン | 1997年6月2日 | 1997年7月22日 | 人民進歩党 | 第3次 |
9 | ビル・スケート(Bill Skate) | 1997年7月22日 | 1999年7月14日 | 人民国家会議[2][3] | |
10 | メケレ・モラウタ(Sir Mekere Morauta) | 1999年7月14日 | 2002年8月5日 | 人民民主運動 | |
11 | マイケル・ソマレ | 2002年8月5日 | 2011年4月4日 | 国民同盟党(National Alliance Party)[1] | 第3次 |
- | サム・アバル(Sam Abal) | 2010年12月13日 | 2011年1月17日 | 国民同盟党 | ソマレの代行 |
- | サム・アバル | 2011年4月4日 | 2011年8月2日 | 国民同盟党 | ソマレの代行 |
12 | ピーター・オニール | 2011年8月2日 | 2019年5月30日 | 人民国家会議 | 2012年8月3日までソマレとの二重政府 |
対抗政権 | マイケル・ソマレ | 2011年12月14日 | 2012年8月3日 | 国民同盟党 | オニールとの二重政府 |
13 | ジェームズ・マラペ | 2019年5月30日 | 現職 | パング党 |
出典・脚注
[編集]- ^ a b c d “Background Note: Papua New Guinea”. US State Department (April 2007). 2007年8月14日閲覧。
- ^ a b c d Dorney, Sean (2001). Papua New Guinea: people, politics and history since 1975. ABC Books. ISBN 0733309453
- ^ a b May, R.J. (2001). State and society in Papua New Guinea: the first twenty five years. Crawford House Publishing. ISBN 1863332049