ノート:幸若舞
幸若舞はかつては全国的に舞われていたものであり、「瀬高町に伝わる民族芸能」と定義付けるのは語弊があると思います。出だしの部分を修正しました。--Kamitani 2007年6月16日 (土) 05:15 (UTC)
敦盛についての追記
[編集]大江地区には現在8曲が語り継がれているが、来年2008年1月20日には、保存会により復元作業が行われていた、「敦盛」が披露される事になっている。 この「敦盛」は、織田信長が桶狭間の合戦出陣時に舞ったとされ、「人間五十年、下天の内を比ぶれば…」の一節で有名なものだ。
なお、当日は小学生の部が「浜出」「日本記」を、青年部が「安宅」を、成人の部が「高館」「夜討曽我」「敦盛」を上演する予定となっている。
以上の部分を追加しました。
幸若舞が舞われる、みやま市瀬高町大江地区は、筆者自宅より車で2分の地にあり、今までにも数回見に行った事があります。 「浜出」などの舞はありましたが、「敦盛」はいまだ見た事が無く、完全なものが継承されていなかったのではと思われますが、2008年に復元の形で披露される予定になりました。 全国からこの日のために訪れるマニアの方もいらっしゃるので、その紹介の加筆です。--Gamu 2007年12月11日 (火) 01:00 (UTC)
幸若舞の記述について
[編集]ネット上でも、色んな方面で議論・記述されている ゛幸若舞゛ ですが、自身はその歴史の中に生きていた者ではないので、どれが正しいのか解かりません。
しかしながら、現在国内唯一と言われ残っている、福岡県みやま市大江地区の幸若舞は、筆者宅より車で2分の近距離にあり、何度かその舞を見た事があります。
初めて眼にした時の感想は、「これが舞いか?」と感じるもので、「舞とは動き回るものだ」゛の先入観をくつがえされました。
しかし何度か眼にするうちに、舞とは元々こういうもので、後の世の ゛舞゛ と呼ばれるものは、舞手の演出等による、その時々のスポンサーや観客への受け狙いや、舞自体の存続のために変化し分化したものではと思えるようになりました。
そう考え、改めて大江地区で舞われる ゛幸若舞゛ を見る時、これが巷の舞の原型ではとも思えます。--Gamu 2007年12月12日 (水) 07:49 (UTC)