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ノート:ネーデルラント連合王国

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Infoboxについて。

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ネーデルラント連合王国
Verenigd Koningrijk der Nederlanden (オランダ語)
Royaume-Uni des Pays-Bas (フランス語)
ホラント王国
オーストリア領ネーデルラント
リエージュ司教領
1815年 - 1830年 オランダ
ベルギー
ネーデルラント連合王国の国旗 [[ファイル:ネーデルラント連合王国の国章|85px|ネーデルラント連合王国の国章]]
(国旗) ((国章))
国の標語: 不明
国歌: Wien Neerlands bloed
ネーデルラント連合王国の位置
首都 アムステルダムおよびブリュッセル
国王
1815年 - 1830年 ヴィレム1世
面積
65,000km²
人口
5,500,000人
変遷
ヴィレム1世国王即位宣言 1813年12月2日
ウィーン会議による独立承認1815年
ベルギー独立革命1830年
ロンドン条約でベルギーの独立承認1839年4月19日
通貨ギルダー

オランダ語版の表をTemplate:基礎情報 過去の国にあてはめてみましたがどうでしょうか(公用語は、オランダ語版の表では「言語」となっており決まってたのかどうかわからないので入れていません)。適用すると現在あるテンプレートや地図が行き場を失うのでどうすればいいのかわからずとりあえずノートに書いておきます。そもそも「連合王国」ってのが正式でないならテンプレの公式国名の部分を変えないとなぁ…。―霧木諒二 2007年2月26日 (月) 15:32 (UTC)[返信]

Infoboxの作成ご苦労様です。これを右側に貼り付けて、今ある図を(適当に小さくして)左側に貼り付けるのではどうでしょうか?国名に関しては、英語の記事では、その様に記述されていますが、ドイツ語やオランダ語では「連合王国」なんですよね。私の想像ですが、1813年から現在まで領土が小さくなったとはいえ同じ王朝が治めているため、正式の国名は今と同じ、ただ、1813年~1830年の時代を区別するため、通称が「連合王国」なのではと考えています。どなたか詳しい方の意見を待って見ましょう。 -- Daisydaisy 2007年2月28日 (水) 11:15 (UTC)[返信]
そうですね。今ある図もleft指定すれば入りそうです。テンプレートはどうすればいいのかちょっとわかりませんが…。しばらく様子見、了解です。
あと冒頭の{{Otheruses}}なんですが、現在のオランダは「連合王国」ではないのでこれを探して「ネーデルラント連合王国」に来る人はいないと思われます。差し支えなければ除去したいのですがどうでしょうか。―霧木諒二 2007年2月28日 (水) 13:36 (UTC)[返信]
冒頭の{{Otheruses}}は、元々この記事がオランダにリダイレクトされていたので、残しておいたものです。元の意図が何かは分からないので、不要でしたら外してもらって構わないと思います。-- Daisydaisy 2007年2月28日 (水) 14:08 (UTC)[返信]

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  • 国号について。山川出版社の『中欧史』(今来陸郎編、ISBN 4634410702)や『スイス・ベネルクス史』(森田安一編、ISBN 4634414406)、ブリタニカ大百科事典のオランダの項などを見てみましたが、1815年から1830年の間のオランダを特にこのように区別している例は見つかりませんでした。また『ヨーロッパ各国・国名の起源』(飯島英一、1986年、創造社。ISBN 4881560662)の211ページでは「一八一四年 ネーデルランド王国(南部含む)」とわざわざ括弧つきで書かれていました。あまり日本語圏では(少なくとも一般書のレベルでは)「ネーデルラント連合王国」という表記は一般的ではないのかもしれません。
  • 公用語について。山川の『中欧史』で、「公用語はオランダ語だけであり」(432ページ)、「一八二三年にはフラマン語地区に対してオランダ語を、ワロン地区に対してオランダ・フランスの両語を公用語とした」(326ページ)といった記述を見つけました。当初は全土でオランダ語が公用語、1823年にベルギー南部に対してフランス語も公用語としたということのようです。
  • 冒頭の{{Otheruses}}について。不要だと思われるので剥がしておきます。―霧木諒二 2007年3月3日 (土) 05:47 (UTC)[返信]