ドージェ
ドージェ(伊: Doge)は、イタリア語で国家元首を指す言葉のひとつで、ヴェネツィアの元首をはじめジェノヴァ、ピサなどの海洋共和国の元首のこと。総督[1]、統領と訳されることもある。
語源
[編集]「ドージェ」の語源はラテン語: dux(ドゥクス) で、イタリア語: duca(公)やイタリア語: duce(ドゥーチェ)と同じ語源である。
また、ドージェの妻は「ドガレッサ」(伊: Dogaressa)と呼ばれる[2]。
概要
[編集]選出
[編集]初期のヴェネツィア共和国では、ドージェの選任方法は明確には定められておらず、有力な家門から選出するという慣例があるのみであった。それ故に、初期のヴェネツィアではドージェが自身の血縁者に後を継がせようとする傾向が強かった。そこで、ドージェが世襲制となることで共和制が崩壊することへの危機感から、ドージェが後継者を指名することを禁じる法律が制定された。1172年には、ドージェは40人の委員による選挙により決められることとなった。この委員は大評議会から選ばれた4人により選任され、この大評議会は12人の委員会が毎年任命する。1229年に支持が20対20となり決着しなかったため、これ以後、委員の数は41とされた。
1268年に制定された選挙方法では、まず30人の委員がくじにより大評議会から選ばれる。この30人はさらにくじで9人に絞られ、この9人が40人を選び、そしてその40人はくじで12人に減らされ、その12人が25人の委員を選ぶ。その25人はくじで9人となり、この9人が45人を定める。45人は11人に絞られ、この11人が、実際にドージェを決める41人を選任するのである[3]。この複雑な制度のために、有力家門といえどもドージェの位を自由にすることは難しくなった。この制度は1797年の共和国滅亡まで維持された。
ジェノヴァ共和国ではドージェは普通選挙で選ばれたが、1528年の改革でプレブスの投票権が剥奪された[4][5]。
ギャラリー
[編集]- ヴェネツィア共和国のドージェ
ヴェネツィア共和国のドージェは、ドージェだけが着用を許されたコルノ・ドゥカーレ(Corno ducale)と呼ばれる、後部に角状の突起が付いた独特の帽子をかぶる。
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フランチェスコ・フォスカリ(在任:1423年 - 1457年)
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パスクアーレ・マリピエロ(在任:1457年 - 1462年)
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ジョヴァンニ・モチェニーゴ(在任:1478年 - 1485年)
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マリーノ・グリマーニ(在任:1595年 - 1605年)
- ジェノヴァ共和国のドージェ
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シモーネ・スピノラ(在任:1567年 - 1569年)
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ルカ・ジュスティニアーニ(在任:1644年 - 1646年)
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ルカ・スピノラ(在任:1687年 - 1689年)
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ジョヴァンニ・フランチェスコ2世・ブリニョル・サレ(在任:1746年 - 1748年)
脚注
[編集]- ^ 亀長洋子『イタリアの中世都市』山川出版社、2011年、9頁。ISBN 978-4-634-34944-5。
- ^ Schaus, Margaret, ed (2006). Women and Gender in Medieval Europe: An Encyclopedia. Oxford: Taylor & Francis. pp. 217. ISBN 9780415969444
- ^ Miranda Mowbray and Dieter Gollmann. “Electing the Doge of Venice: Analysis of a 13th Century Protocol”. 2007年7月12日閲覧。
- ^ Society for the Diffusion of Useful Knowledge (1843). The Penny Cyclopaedia. 26. London: Charles Knight & Co
- ^ Kleinhenz, Christopher, ed (2004). Medieval Italy: An Encyclopedia. 1. London: Routledge. pp. 635–36. ISBN 9781138638801
関連項目
[編集]- ヴェネツィアのドージェ一覧
- ジェノヴァのドージェ一覧
- 総統
- 総督
- ゴンファロニエーレ:中世・ルネサンス期のイタリアで用いられた、共和制国家の元首の称号の一つ。フィレンツェ共和国の正義の旗手(伊: Gonfaloniere di Giustizia)などが有名。