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ティノ・マルティネス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ティノ・マルティネス
Tino Martinez
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州タンパ
生年月日 (1967-12-07) 1967年12月7日(56歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
230 lb =約104.3 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1988年 ドラフト1巡目(全体14位)でシアトル・マリナーズから指名
初出場 1990年8月20日
最終出場 2005年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

コンスタンティノ・マルティネスConstantino Martinez, 1967年12月7日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州タンパ出身の元プロ野球選手一塁手)。ニックネームは「Bamtino」。

経歴

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アマチュア時代

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ジェファーソン高校時代はルイス・ゴンザレスとチームメイトだった。1985年のMLBドラフトボストン・レッドソックスから3巡目に指名を受けるが契約せず、タンパ大学に進学。

1988年に行われたソウルオリンピック野球アメリカ代表に選出され、決勝の日本戦で2本塁打を放ち、金メダル獲得に大きく貢献した。

マリナーズ時代

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1988年のMLBドラフトシアトル・マリナーズから1巡目(全体14位)に指名を受け入団。

1990年8月20日テキサス・レンジャーズ戦でメジャーデビューし、2安打を放つ。翌日の同カードではチャーリー・ハフから初打点を記録。

1992年にレギュラーに定着し、16本塁打を記録する。

1994年ストライキでシーズンが打ち切られたが、自身初の20本塁打を記録するなど徐々に長打力を発揮する。

1995年は前半戦で打率.299・18本塁打・58打点を記録するなど好調で、オールスターゲームに初めて選出される。シーズン通算で打率.293・31本塁打・111打点を記録、チームはカリフォルニア・エンゼルスとの最大11ゲーム差を逆転し、球団創設以来初の地区優勝を果たした。ニューヨーク・ヤンキースとのディビジョンシリーズでは打率.409・1本塁打と活躍したが、クリーブランド・インディアンスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.136に終わり、チームも2勝4敗で敗退した。12月7日に2選手との交換トレードでジェフ・ネルソンらと共にヤンキースへ移籍。

ヤンキース時代

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1996年は一時打率が1割を切るなど不振。前年限りで引退したドン・マッティングリーの復帰を熱望していたファンに受け入れてもらえなかったが、6月には復調。打率.292・25本塁打・117打点を記録し、チームの地区優勝に貢献。ポストシーズンでは振るわなかったが、チームはワールドシリーズアトランタ・ブレーブスを4勝2敗で下し、18年ぶりのワールドチャンピオンに輝いた。

1997年は前半戦で打率.302・28本塁打・78打点の成績を残し、2年ぶりにオールスターゲームに選出され、初の先発出場を果たす。いずれもキャリアハイの打率.296・44本塁打・141打点を記録し、チームはワイルドカードを獲得する。クリーブランド・インディアンスとのディビジョンシリーズでは第1戦でオーレル・ハーシュハイザーから本塁打を放って勝利に貢献するが、チームは2勝3敗で敗退した。MVPの投票ではケン・グリフィー・ジュニアに次ぐ2位に入り、初のシルバースラッガー賞を受賞した。

1998年から2000年にかけても安定した成績を残し、チームのワールドシリーズ3連覇の偉業に大きく貢献した。

2001年は34本塁打・113打点を記録し、チームも4年連続でリーグ優勝。親友ゴンザレスが所属するアリゾナ・ダイヤモンドバックスとのワールドシリーズでは、1勝2敗で迎えた第4戦で9回裏に相手クローザー金炳賢から同点2点本塁打を放って延長に持ち込み、サヨナラ勝利を演出した。第7戦は9回裏までリードし、4連覇まで後一歩まで迫りながら逆転サヨナラ負けを喫し、敗退した。オフにフリーエージェントとなり、12月18日セントルイス・カージナルスに移籍。

カージナルス時代

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2002年は前年限りで引退したマーク・マグワイアの後釜として期待されるが、21本塁打・75打点に留まる。チームは地区優勝し、自身8年連続のポストシーズン出場を果たす。ダイヤモンドバックスとの再戦となったディビジョンシリーズでは無安打。サンフランシスコ・ジャイアンツとのリーグチャンピオンシップシリーズでも打率.143に終わり、チームも1勝4敗で敗退して自身5年連続のワールドシリーズ出場はならなかった。

2003年は15本塁打・69打点に終わり、11月21日に2選手との交換トレードで故郷のタンパベイ・デビルレイズに移籍。

デビルレイズ時代

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2004年は23本塁打・76打点を記録し、球団創設以来6年連続で最下位に沈んでいたチームの最下位脱出に貢献した。オフにフリーエージェントとなった。

ヤンキース復帰

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2005年1月1日ジェイソン・ジアンビのバックアップ要員として好守の一塁手を求めていた古巣ヤンキースに復帰。5月7日からの5試合連続本塁打を含め、5月3日から5月15日にかけて12試合で10本塁打・22打点を記録する。チームは8年連続の地区優勝。エンゼルスとのディビジョンシリーズでは無安打に終わり、チームも2勝3敗で敗退。オフにフリーエージェントとなり、引退した。

現役引退後

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引退後はスポーツ専門チャンネルESPNYESネットワーク野球解説者を務めた。

2012年11月8日2013年シーズンからマイアミ・マーリンズで打撃コーチを務めることが明らかになった[1]が、7月に辞任した。

2014年6月21日、ニューヨーク・ヤンキースの本拠地ヤンキー・スタジアムで行われたボルチモア・オリオールズ戦の試合前の始球式を務めた。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1990 SEA 24 78 68 4 15 4 0 0 19 5 0 0 0 1 9 0 0 9 0 .221 .308 .279 .587
1991 36 125 112 11 23 2 0 4 37 9 0 0 0 2 11 0 0 24 2 .205 .272 .330 .602
1992 136 513 460 53 118 19 2 16 189 66 2 1 1 8 42 9 2 77 24 .257 .316 .411 .727
1993 109 464 408 48 108 25 1 17 186 60 0 3 3 3 45 9 5 56 7 .265 .343 .456 .799
1994 97 366 329 42 86 21 0 20 167 61 1 2 4 3 29 2 1 52 9 .261 .320 .508 .828
1995 141 593 519 92 152 35 3 31 286 111 0 0 2 6 62 15 4 91 10 .293 .369 .551 .920
1996 NYY 155 671 595 82 174 28 0 25 277 117 2 1 1 5 68 4 2 85 18 .292 .364 .466 .830
1997 158 685 863 96 176 31 2 44 343 141 3 1 0 13 75 14 3 75 15 .296 .371 .577 .948
1998 142 608 531 92 149 33 1 28 268 123 2 1 0 10 61 3 6 83 18 .281 .355 .505 .860
1999 159 665 589 95 155 27 2 28 270 105 3 4 0 4 69 7 3 86 14 .263 .341 .458 .799
2000 155 632 569 69 147 37 4 16 240 91 4 1 0 3 52 9 8 74 16 .258 .328 .422 .750
2001 154 635 589 89 165 24 2 34 295 113 1 2 0 2 42 2 2 89 12 .280 .329 .501 .830
2002 STL 150 576 511 63 134 25 1 21 224 75 3 2 1 4 58 9 2 71 12 .262 .337 .438 .775
2003 138 547 476 66 130 25 2 15 204 69 1 1 2 7 53 7 9 71 14 .273 .352 .429 .781
2004 TB 138 538 458 63 120 20 1 23 211 76 3 1 0 5 66 9 9 72 10 .262 .362 .461 .823
2005 NYY 131 348 303 43 73 9 0 17 133 49 2 0 0 4 38 3 3 54 10 .241 .328 .439 .767
通算:16年 2023 8044 7111 1008 1925 365 21 339 3349 1271 27 20 14 80 780 102 59 1069 191 .271 .344 .471 .815
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

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背番号

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  • 14(1990年 - 1991年)
  • 23(1992年 - 1995年)
  • 24(1996年 - 2005年、2004年
  • 21(2002年 - 2003年)

脚注

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  1. ^ [1]

関連項目

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外部リンク

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