コンテンツにスキップ

スパゲティーの年に

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

スパゲティーの年に』(スパゲティーのとしに)は、村上春樹短編小説

概要

[編集]
初出 『トレフル』1981年5月号
収録書籍 カンガルー日和』(平凡社、1983年9月)

1991年1月刊行の『村上春樹全作品 1979〜1989』第5巻(講談社)に収録される際、大幅に加筆修正がなされた。

英訳

[編集]
タイトル The Year of Spaghetti
翻訳 フィリップ・ガブリエル
初出 ザ・ニューヨーカー』2005年11月21日号[1]
収録書籍 Blind Willow, Sleeping Woman』(クノップフ社、2006年7月)

あらすじ

[編集]

1971年、「僕」はドイツ・シェパード行水にでも使えそうな巨大なアルミ鍋を手に入れ、春、夏、秋、とスパゲティーを茹でつづけた。キッチン・タイマーがチーンという悲痛な音を立てるまで、一歩も鍋のそばを離れなかった。基本的に「僕」は一人でスパゲティーを茹で、一人でスパゲティーを食べた。一人でスパゲティーを食べている時に「僕」の部屋を訪れようとする人物はそのたびに違っていた。ある時は何年か前の僕自身であり、ある時はジェニファー・ジョーンズを連れたウィリアム・ホールデンだった。

午後3時20分に電話が鳴った時、「僕」は1971年の12月の光の中で畳の床に寝転んで天井を眺めていた。電話の相手は「僕」の知り合いのかつての恋人だった。

「彼が何処にいるのか教えてくれない?」と訊かれたが、彼の居場所を教えるわけにはいかなかった。「僕」が教えたとわかれば今度は彼の方が電話をかけてくるだろう。

「悪いけど今スパゲティーを茹でてるところなんだ」と「僕」は答えた。鍋の中に空想の水を入れ、空想のマッチで空想の火を点け、空想のキッチン・タイマーを15分[2]に合わせる。

「僕」は彼女に何もかも教えてやるべきだったのかもしれない、と今では後悔している。どうせ相手はたいした男じゃなかったのだから[3]

脚注

[編集]
  1. ^ FICTION THE YEAR OF SPAGHETTI BY HARUKI MURAKAMI. November 21, 2005The New Yorker
  2. ^ 『村上春樹全作品』版では「12分」に書き直された。
  3. ^ 知り合いの男について、単行本版は「画家気取りで下手な抽象画を描き、口だけが達者な空っぽな男だった」と表現されているが、『村上春樹全作品』版では「自分では芸術家のつもりでいる、内容のない空っぽな男だった。口だけが達者で、ほとんど誰にも信用されていなかった」という表現に改められている。

関連項目

[編集]