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スギヒメ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スギヒメ
欧字表記 Sugi Hime
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1958年3月28日
死没 1981年8月
ヒンドスタン
サヤニヒル
母の父 Sayani
生国 日本の旗 日本
北海道浦河郡浦河町
生産者 出口留雄
馬主 小杉咲枝
調教師 諏訪佐市中京
競走成績
生涯成績 18戦8勝
獲得賞金 1000万8050円
勝ち鞍 桜花賞(1961年)
きさらぎ賞(1961年)
神戸杯(1961年)
大阪杯(1962年)
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スギヒメ1958年3月28日 - 1981年8月)は、日本中央競馬会に所属していた競走馬繁殖牝馬1961年桜花賞を優勝。

馬齢2000年まで使用されていた旧表記(数え年)を用いる。

経歴

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デビューから引退まで諏訪真が手綱を取り、1960年(3歳)10月阪神新馬戦は2着、2戦目の新馬戦→オープンと連勝。1961年(4歳)は京都4歳牝馬特別10着、中京オープン6着と共に人気に支持されながら殿負け。第1回きさらぎ賞で重賞初制覇、桜花賞はこの年からスターティングゲートが採用され、出走頭数は28頭を数えた。スギヒメは4枠18番の2番人気であった。チトセホープに5馬身差をつけて逃げ切る圧勝であったが、優駿牝馬ではチトセホープから4.7秒離された16着と大敗。秋は神戸杯を制した。1962年(5歳)は重賞昇格前の金鯱賞を勝ち、大阪杯では7頭中6番人気ながら重賞4勝目を挙げるが、2着にトキノキロクが入って新旧桜花賞馬ワンツーとなった。ちなみに3着には前年の桜花賞で1番人気に支持されたミスケイコが入り、牝馬が上位独占となった。同年引退。

引退後

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引退後は1963年に繁殖入りし、9頭の産駒を送り出し、ニホンピローホマレ(京都記念 (春)[1]やエリモマーチス(毎日杯札幌記念[2]、エースコスモ(ビクトリアカップ京都大賞典2着)[3]など活躍馬を輩出。

競走成績

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  • 1960年(3戦2勝)
  • 1961年(12戦4勝)
    • 1着 - 桜花賞、きさらぎ賞、神戸杯
    • 2着 - 4歳牝馬特別
  • 1962年(4戦2勝)
    • 1着 - 大阪杯、金鯱賞

太字は八大競走を含むGI級レース。

脚注

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  1. ^ ニホンピローホマレ|JBISサーチ(JBIS-Search)
  2. ^ エリモマーチス|JBISサーチ(JBIS-Search)
  3. ^ エースコスモ|JBISサーチ(JBIS-Search)