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ジョン・ロッカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・ロッカー
John Rocker
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ジョージア州ステイツボロ
生年月日 (1974-10-17) 1974年10月17日(50歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 左投右打
ポジション 投手
プロ入り 1993年 ドラフト18巡目
初出場 1998年5月5日
最終出場 2003年5月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジョン・ロイ・ロッカーJohn Loy Rocker, 1974年10月17日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州ステイツボロ出身の元プロ野球選手(投手)。

経歴

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プロ入りとブレーブス時代

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1993年のMLBドラフトアトランタ・ブレーブスから18巡目に指名を受け入団。

1998年5月5日ロサンゼルス・ドジャース戦でメジャーデビュー。主にセットアッパーとして起用され、1勝3敗2セーブ・防御率2.13、38イニングで42奪三振を記録した。ポストシーズンでもロースター入りを果たし、サンディエゴ・パドレスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは全試合に登板し無失点に抑えたが[1]、チームは2勝4敗で敗退した。

1999年は前年30セーブを挙げたケリー・ライテンバーグの故障によりクローザーを務め、4勝5敗38セーブ・防御率2.49、72.1イニングで104奪三振を記録し、チームの地区優勝に貢献。ニューヨーク・メッツとのリーグチャンピオンシップシリーズでは前年に続いて全試合に登板し[1]、チームは3年ぶりにリーグ優勝を果たす。ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでも2試合に投げ無失点に抑えたが、チームは4連敗で敗退した。

2000年は問題発言(後述)の影響もあって前半戦は防御率4.62、25.1イニングで34四球と不調だったが、後半戦で防御率1.30[2]と復調し、シーズン通算で1勝2敗24セーブ・防御率2.89を記録した。セントルイス・カージナルスとのディビジョンシリーズでは1試合に登板したが、チームは3連敗で敗退した。

2001年は15連続セーブを記録[3]する。

インディアンス時代

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2001年6月22日に2選手との交換トレードで、1選手とともにクリーブランド・インディアンスに移籍。

移籍後もクローザーを務めたが不調が続いて配置転換される。移籍後は3勝7敗4セーブ・防御率5.45に終わり、シーズン通算で5勝9敗23セーブの成績だった。チームは地区優勝を果たし、シアトル・マリナーズとのディビジョンシリーズでは1試合に登板するが、チームは2勝3敗で敗退。

レンジャーズ時代

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2001年12月18日にトレードでテキサス・レンジャーズに移籍。

2002年は開幕からクローザーを務めるが不調で配置転換された。2勝3敗1セーブ・防御率6.66と不安定でマイナーに降格し、10月3日に解雇。同年ホラー映画殺戮職人芝刈男』に出演し、「銀幕デビュー」を果たした。

レイズ時代

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2003年4月10日タンパベイ・デビルレイズと契約するが、2試合の登板のみで6月27日に解雇された。

独立リーグ時代

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2005年独立リーグアトランティック・リーグロングアイランド・ダックスと契約するが、2敗・防御率6.50、18イニングで28四球と不調で解雇され、現役引退。

引退後

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引退後は、テレビのバラエティ番組に出演の傍らチャリティー活動も行っている。テレビ番組のイベントで出会ったモデルと結婚。

2016年には同年のアメリカ合衆国大統領選挙ドナルド・トランプを支持する[4]

人物

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問題発言

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2000年1月号のスポーツ・イラストレイテッド誌で、当時のメッツ本拠地シェイ・スタジアムに向かうニューヨーク市地下鉄7号線について、こう発言した。

まるでベイルートにでもいるような気分になる。隣のガキは髪を紫に染め、また隣にはエイズ患者。さらに隣には4度目の出所を終えたばかりのヤツがいて、その横には20歳で4人の子持ちの母がいる。

この発言の背景には、前年のリーグチャンピオンシップシリーズ第5戦で、メッツファンにバッテリーを投げつけられたことに対する不満があるのだが、もちろんニューヨーク市民は激怒。それに対して再度応酬し、「(シェイ・スタジアムに行くのに)タクシーやバスは使わず、地下鉄7号線に乗るつもり。今から楽しみだ。(暴漢に襲われて負傷して)病院に行く準備もしていくよ。」と発言。市民の怒りは頂点に達したが、ここで当時のニューヨーク市長ルドルフ・ジュリアーニが、大リーグコミッショナー事務局に、ロッカーの地下鉄利用を止めさせるよう連絡するとともに、市民に「彼に対して怒る権利はあるが、決して危害を加えないように。球場の内外を問わず、彼に危害を加えようとする者は容赦なく犯罪者として逮捕する。」と発言し、自制を求めた。更に同僚のランドール・サイモンに「太った猿」と暴言を吐いたことも明らかになった。

一連の騒動で、開幕から28試合(のちに14試合に軽減)の出場停止処分と減俸処分を受けた。6月29日に騒動後初めて敵地でのメッツ戦が行われ、46,987人の観客が詰めかけた。通常60人程度配備している警官を700人に増員し、万一に備えた。場内のビールは売り切れ、ブレーブスのブルペンにはカバーがかけられた。8回に登板した際にファンから「クソッタレ!」等の激しい野次が飛ばされる(無論「クソッタレ」程度は生易しい方である)が平然とマウンドに向かい、3者凡退に打ち取った。試合はブレーブスが勝利し、試合後は3台の護衛がついた黒いバンに乗り込んで球場を後にした。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1998 ATL 47 0 0 0 0 1 3 2 -- .250 156 38.0 22 4 22 4 3 42 6 0 10 9 2.13 1.16
1999 74 0 0 0 0 4 5 38 -- .444 301 72.1 47 5 37 4 1 104 7 0 24 20 2.49 1.16
2000 59 0 0 0 0 1 2 24 -- .333 251 53.0 42 5 48 4 2 77 5 2 25 17 2.89 1.70
2001 30 0 0 0 0 2 2 19 -- .500 135 32.0 25 2 16 1 2 36 5 0 13 11 3.09 1.28
CLE 38 0 0 0 0 3 7 4 -- .300 165 34.2 33 2 25 3 3 43 6 2 23 21 5.45 1.67
'01計 68 0 0 0 0 5 9 23 -- .357 300 66.2 58 4 41 4 5 79 11 2 36 32 4.32 1.49
2002 TEX 30 0 0 0 0 2 3 1 -- .400 114 24.1 29 5 13 1 0 30 0 0 19 18 6.66 1.73
2003 TB 2 0 0 0 0 0 0 0 -- -- 8 1.0 2 0 3 0 1 0 0 0 1 1 9.00 5.00
通算:6年 280 0 0 0 0 13 22 88 -- .371 1130 255.1 200 23 164 17 12 332 29 4 115 97 3.42 1.43

背番号

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  • 49 (1998年 - 2002年)
  • 48 (2003年)

脚注

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  1. ^ a b Postseason Pitching Gamelogs” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月23日閲覧。
  2. ^ 2000 Pitching Splits” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月23日閲覧。
  3. ^ 2001 Pitching Gamelogs” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月23日閲覧。
  4. ^ Slugger 2016年9月号

関連項目

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外部リンク

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