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シーム・デ・ヨング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シーム・デ・ヨング
名前
ラテン文字 Siem de Jong
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1989-01-28) 1989年1月28日(35歳)
出身地 スイスの旗 スイス エーグル
身長 185cm
体重 76kg
選手情報
ポジション MF / FW
利き足 右足
ユース
2001-2005 オランダの旗 デ・フラーフスハップ
2005-2007 オランダの旗 アヤックス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-2014 オランダの旗 アヤックス 168 (57)
2014-2017 イングランドの旗 ニューカッスル 22 (1)
2016-2017 オランダの旗 PSV(loan) 19 (6)
2017-2020 オランダの旗 アヤックス 25 (4)
2018-2019 オーストラリアの旗 シドニー (loan) 17 (4)
2020 アメリカ合衆国の旗 シンシナティ 15 (0)
2020-2022 オランダの旗 ヘーレンフェーン 46 (4)
2022-2023 オランダの旗 デ・フラーフスハップ 26 (5)
通算 342 (83)
代表歴
2006  オランダ U-17 1 (0)
2007  オランダ U-19 6 (2)
2007-2010  オランダ U-21 12 (4)
2008-2009 オランダの旗 オランダ B 3 (1)
2010-2013 オランダの旗 オランダ 6 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

シーム・デ・ヨングSiem de Jong1989年1月28日 - )は、スイスヴォー州・エーグル出身のオランダ人元サッカー選手。現役時代のポジションはMF

弟は同じくサッカー選手のルーク・デ・ヨング

経歴

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クラブ

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ヘルダーラント州ドゥーティンヘムにあるアマチュアクラブDZC'68でプレーしていたときに地元のプロクラブであるデ・フラーフスハップにスカウトされた。このとき2001年、わずか12歳だった。ドゥーティンヘムではフース・ヒディンククラース・ヤン・フンテラールと同じhet Rietveld Lyceumという公立学校に通い、大学入学資格を与えられた。2005年までデ・フラーフスハップのユースでプレーし、それからアヤックス・アムステルダムのユースに引き抜かれた[1]

18歳でヘンク・テン・カテ監督率いるトップチームに昇格し、19歳のときにアヤックスとの契約を2013年6月まで延長した[2]。2007年9月26日、アマチュアリーグに所属するコザッケン・ボーイズ戦で途中出場し、トップチームでの初出場を飾った。エールディヴィジの試合にはアウェイでのスパルタ・ロッテルダム戦で初出場した。途中出場だったが、ロスタイムに同点弾を決めた。2007-08シーズンはリーグ戦で20試合以上出場した唯一の10代選手だった。ヴィレムII戦で全治2ヶ月の負傷を負い、3月16日からのハードな対戦(アウェイでのPSVアイントホーフェン戦、アウェイでのFCトゥウェンテ戦、アウェイでのSCヘーレンフェーン戦)への出場を逃した。4月上旬に復帰し、デ・フラーフスハップ戦でエドガー・ダーヴィッツに代わって途中出場した。2007-08シーズンは国内リーグ・国内カップ・欧州カップ戦に合わせて28試合に出場して2得点した。

2008年夏にクラブは史上最高金額でFWミラレム・スレイマニを獲得したため、デヨングは主に彼の控えという位置づけで、10試合しか出場しなかった。2009-10シーズン序盤は4-4-2フォーメーションを採用したためにポジション獲得は成らなかったが、チームが後半戦に4-3-3フォーメーションを採用すると、22節のFCトゥウェンテ戦で優勝を争うライバル相手にシーズン初得点を決めた。フィテッセ戦、ヘラクレス・アルメロ戦、NECナイメヘン戦で1試合2得点を決め、また26節から29節まで4戦連続ゴールを決める活躍で、終盤の14連勝に大きく貢献した。リーグ優勝こそならなかったが、自己最多の10得点を挙げて成長を印象付けた。フェイエノールトとのKNVBカップ決勝第1戦では開始7分で2点を奪い、勝利を決定づけた[3]

2014年7月1日、イングランドプレミアリーグに所属するニューカッスル・ユナイテッドFCへの移籍が決定する[4]

2016年8月23日、PSVアイントホーフェンにレンタル移籍した[5]

2017年8月28日、アヤックスに復帰した[6]。契約期間は3年間。

2018年8月23日、シドニーFCに1年間のレンタルで移籍した[7]

2020年2月20日、FCシンシナティに移籍した[8]

2020年12月4日、SCヘーレンフェーンに移籍した[9]

2022年6月26日、デ・フラーフスハップに移籍した[10]

2023年5月18日、現役引退を表明した[11]

代表

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2007年春にオランダU-19代表に初選出され、2-0で勝利したチェコ戦で初出場した。UEFA U-19欧州選手権2007年大会予選では3試合に出場したが敗退した。U-19欧州選手権2008年大会予選では3試合に出場してそのうち2試合で得点した。2-0で勝利したジョージア戦では83分に得点し、1-3で敗れたノルウェー戦では15分に得点した。オランダU-19代表では通算6試合に出場した。

2007年11月12日、マケドニア共和国戦のためにフォッペ・デハーン監督率いるオランダU-21代表に招集された。11月16日に試合が行われ、17日には監督がデ・ヨングに対して「もはやU-21代表ではない」と述べた。しかし2008年2月5日、北京オリンピックに招集すると発言した。イタリアとの親善試合に招集されたが、前述の怪我により3-0で勝利したエストニア戦には出場できず、代役としてジョナサン・デ・グズマンが出場した。4月上旬に復帰し、再びチームに戻ったが、北京オリンピック出場は叶わなかった。

2010年8月11日のウクライナとの親善試合においてA代表初招集、初出場を果たした。2013年6月7日のインドネシアとの親善試合で代表初得点を含む2得点を挙げた。

所属クラブ

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オランダの旗 PSVアイントホーフェン(loan) 2016-2017
オーストラリアの旗 シドニーFC (loan) 2018-2019

個人成績

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代表での得点

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日時 場所 相手 スコア 結果 大会
1. 2013年6月7日 インドネシアの旗 ジャカルタ  インドネシア 0–1 0–3 親善試合
2. 0–2

タイトル

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クラブ
アヤックス
シドニーFC

脚注

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  1. ^ Vol Beloften: Siem de Jongアヤックス公式サイト
  2. ^ Siem de Jong langer bij Ajaxアヤックス公式サイト
  3. ^ アヤックスがオランダカップ制覇uefa.com、2010年5月6日
  4. ^ S・デ・ヨング、ニューカッスルと長期契約”. goal.com (2014年7月2日). 2018年5月1日閲覧。
  5. ^ ニューカッスルのシーム・デ・ヨング、弟ルーク所属のPSVにレンタル移籍”. 超ワールドサッカー (2016年8月23日). 2018年5月1日閲覧。
  6. ^ 元オランダ代表MFシーム・デ・ヨングがアヤックスに帰還! ニューカッスルから3年契約で復帰”. 超ワールドサッカー (2017年8月28日). 2018年5月1日閲覧。
  7. ^ Sydney FC Sign Dutch International” (英語). Sydney FC (2018年9月9日). 2018年9月9日閲覧。
  8. ^ FC Cincy acquire midfielder Siem de Jong” (英語). FC Cincinnati. 2020年2月20日閲覧。
  9. ^ https://www.mlssoccer.com/post/2020/12/04/former-fc-cincinnati-midfielder-siem-de-jong-lands-sc-heerenveen
  10. ^ “Siem de Jong terug bij De Graafschap, Olij maakt transfer naar Sparta” (オランダ語). NOS. (16 June 2022). https://nos.nl/artikel/2432967-siem-de-jong-terug-bij-de-graafschap-olij-maakt-transfer-naar-sparta 2023年5月31日閲覧。 
  11. ^ Siem de Jong beëindigt vrijdagavond zijn voetballoopbaan” [Siem de Jong ends his football career on Friday evening] (Dutch). www.degraafschap.nl (18 May 2023). 2023年5月31日閲覧。

外部リンク

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