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ゲレト・タイジ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ゲレト・タイジモンゴル語: Гэрэд中国語: 格哷図台吉1515年[1] - ?)とは、モンゴルハーンであるバト・モンケ(ダヤン・ハーン)の子供の一人。『アルタン・ハーン伝』ではチャグ=モンケ(Čaγ Möngkeとも表記され、漢文史料では「克列兎台吉」と記される[2]

概要

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ダヤン・ハーンとその側室ジャライルのスミル・ハトンの間の息子として生まれた。同母兄弟にはチャハルのタタルを統治したウバサンジャ・チン・タイジがいる。

ゲレト・タイジはダヤン・ハーンの十一子の中で唯一子供がなく、そのため独自の遊牧集団を形成することなく亡くなった1482年[3]

脚注

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  1. ^ 『蒙古源流』の記述に拠る(岡田2004,239頁)
  2. ^ 吉田1998,233頁
  3. ^ 岡田2004,248頁

参考文献

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  • 岡田英弘訳注『蒙古源流』刀水書房、2004年
  • 森川哲雄「チャハル・八オトクとその分封について」『東洋学報』58巻、1976年
  • 吉田順一『アルタン・ハーン伝訳注』風間書房、1998年