クレマンス・ド・オングリー
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クレマンス・ド・オングリー Clémence de Hongrie | |
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フランス王妃 ナバラ王妃 | |
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在位 | 1315年8月19日 - 1316年6月5日 |
戴冠式 | 1315年8月24日 |
別称 | クレマンス・ダンジュー(Clémence d'Anjou) |
出生 |
1293年 |
死去 |
1328年10月13日 フランス王国、パリ |
埋葬 | フランス王国、サン=ドニ大聖堂 |
結婚 | 1315年8月19日 |
配偶者 | フランス王ルイ10世 |
子女 | ジャン1世 |
家名 | アンジュー=ハンガリー家 |
父親 | カルロ・マルテッロ・ダンジョ |
母親 | クレメンティア・フォン・ハプスブルク |
クレマンス・ド・オングリー(Clémence de Hongrie, 1293年2月8日 - 1328年10月13日)は、フランス王ルイ10世の2度目の王妃。クレマンス・ダンジュー(Clémence d'Anjou)とも呼ばれる。
生涯
[編集]ハンガリーの王位請求者カルロ・マルテッロ・ダンジョ(ナポリ王カルロ2世の長子)と妃クレメンティア(神聖ローマ皇帝ルドルフ1世の娘)の娘として生まれた。兄はハンガリー王カーロイ1世。ヴァロワ朝初代の王となるフィリップ6世は父方の従弟に当たる。
1315年、フランス王ルイ10世は不貞を犯して幽閉されていた初婚の王妃マルグリット・ド・ブルゴーニュが獄死したため(ルイの再婚を可能とするため暗殺されたとも言われている)、同年8月にクレマンスと結婚した。
1316年6月、妊娠中のクレマンスを残してルイは急死した。王弟フィリップが摂政となり、出生に疑惑をもたれる幼い王女ジャンヌの即位を阻止し、クレマンスの男児出生を待った。同年11月、出生と同時に嬰児がジャン1世となったが、わずか4日間しか生きられなかった。そのため、摂政であった王弟がフィリップ5世として即位した。
クレマンスは宮廷を去ってアヴィニョンへ向かった。1318年には、エクス=アン=プロヴァンスのドミニコ会修道院へ隠遁した。数年後にパリへ戻ったが、1328年に35歳で亡くなった。