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カール・ルートヴィヒ・フォン・バーデン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カール・ルートヴィヒ・フォン・バーデン
Karl Ludwig von Baden

称号 バーデン=ドゥルラハ辺境伯世子
出生 (1755-02-14) 1755年2月14日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
バーデン=ドゥルラハ辺境伯領カールスルーエ
死去 (1801-12-16) 1801年12月16日(46歳没)
 スウェーデンアルボーガ
配偶者 アマーリエ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット
子女 一覧参照
家名 ツェーリンゲン家
父親 バーデン大公カール・フリードリヒ
母親 カロリーネ・ルイーゼ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット
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カール・ルートヴィヒ・フォン・バーデン(Karl Ludwig von Baden, 1755年2月14日 - 1801年12月16日)は、バーデン=ドゥルラハ辺境伯カール・フリードリヒ(後の初代バーデン大公)の長男。世子(Erbprinz)であったが、父より先に没したため即位することはなかった。

1755年2月14日、バーデン=ドゥルラハ辺境伯カール・フリードリヒとその最初の妃であったヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ8世の娘カロリーネ・ルイーゼの間に第一子としてカールスルーエで生まれた。

1801年、スウェーデンに嫁いでいた娘フリーデリケの元を訪問するが、12月16日に同国のアルボーガ(現ヴェストマンランド地方ヴェストマンランド県)で死去。バーデン辺境伯は1803年選帝侯に、1806年大公となるが、父カール・フリードリヒの死後、その地位は次男のカールが嗣いだ。

子女

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1774年7月15日、カール・ルートヴィヒは母方のおじヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ9世の娘であるアマーリエカールスルーエで結婚した。彼女との間には以下の2男6女をもうけた。