オイゲン・デューリング
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人物情報 | |
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全名 | Eugen Karl Dühring[1] |
生誕 |
1833年1月12日[1] ドイツ帝国・ベルリン[2] |
死没 |
1921年9月21日(88歳没)[1] ドイツ国・ポツダム[2]・バーベルスベルク地区 |
出身校 | ベルリン大学[1] |
学問 | |
研究機関 | ベルリン大学[1] |
オイゲン・カール・デューリング(ドイツ語: Eugen Karl Dühring、1833年1月12日 - 1921年9月21日)は、ドイツの哲学者、経済学者である[1]。
経歴
[編集]ベルリン近郊で官吏の子に生まれたが、幼くして両親と死別し孤児院で育った[3]。ベルリン大学で法律を学び、司法官見習い実習生になった[2]。眼病に罹患し司法官を断念、哲学や経済学の研究に転じた[2]。1861年、失明したものの学位を取得[2]。1863年よりベルリン大学で哲学と経済学を講じ[2]、1865年講師に就任した[1]。社会主義に接近しドイツの社会主義運動家らに影響を与える一方、カール・マルクスに反対した[2]。1877年大学を追われ、1878年にはフリードリヒ・エンゲルス『反デューリング論』で徹底して批判された[2]。
著作
[編集]- 『自然弁証法』 1865年[2]
- 『資本と労働』 Kapital und Arbeit 1865年[1]
- 『生の価値』 Der Wert des Lebens im Sinne einer heroischen Lebensauffassung 1865年[1]
- 『批判的哲学史』 Kritische Geschichte der Philosophie 1869年[1]
- 『国民経済学と社会主義の批判的歴史』1871年[2]
- 『国民経済学と社会経済学教程』 Kursus der National und Sozialökonomie 1873年[1]
- 『哲学教程』 Kursus der Philosophie 1875年[1]
- 『ユダヤ人問題』1881年[2]