エス・エス・ブイ
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | |
略称 | S.S.V. |
本社所在地 |
日本 〒381-2292 長野県長野市川中島町御厨石河原町37[1][2] |
設立 |
1971年(昭和46年)10月16日[3][4] (株式会社西友ストアー長野[5]) |
業種 | 小売業 |
事業内容 | スーパーマーケットの展開 |
資本金 | 24億1109万円[6] |
売上高 | 792億9500万円[7] |
決算期 | 2月末日[8] |
主要株主 | 株式会社西友 100% |
特記事項:1983年(昭和58年)6月、株式会社長野西友に商号変更。 1991年(平成3年)9月、株式会社エス・エス・ブイに商号変更。 2008年(平成20年)7月1日西友に吸収合併[9]。 |
株式会社エス・エス・ブイ(英: S.S.V. Inc.)は、かつて長野県を中心にスーパーマーケットを展開した日本の企業。株式会社西友傘下の企業であった。
歴史・概要
[編集]西友ストアー(現・西友)が、急速な店舗展開により財務状態を悪化させた長野県資本のスーパー魚力と提携し[10]、1971年(昭和46年)10月16日[4]、資本金1000万円で株式会社西友ストアー長野を設立したのが始まり(出資比率:西友60%、魚力40%)[10]。
1972年(昭和47年)4月1日に[11]魚力長野駅前店2階に家庭用品売り場の[12]「ホームマート」1号店を開店し[11][13]、同年10月に更埴市に「株式会社西友ストアー長野」としてのスーパー1号店を開店した[14]。
1974年(昭和49年)2月に株式会社泉万(長野県上田市)に商品供給を開始し[15]、同年9月14日に株式会社泉万(長野県上田市)の営業権を取得して[16]、同社から8店舗を譲受した[13]。
1975年(昭和50年)4月に株式会社魚力の本部機能を統合し[5]、同年9月に株式会社魚力(長野県長野市)から23店舗と2物流センターを譲受した[13]。
1980年(昭和55年)11月にスーパー丸善と資本提携を含む全面提携し[17]、1981年(昭和56年)11月に長野物流センターに低温冷蔵設備を導入して低温配送を開始した[13]。
1983年(昭和58年)6月1日に株式会社長野西友に社名を変更した[18]。
もともとは長野県のみを担当する目的で設立されたが[1]、1991年(平成3年)9月1日に愛知県小牧市のブイ・マートと合併し[19]株式会社エス・エス・ブイに社名を変更し[13]、愛知県と岐阜県に進出した[19]。 この合併後に西友とVマートの店名が並行して使用された[20]。
かつては総合スーパーも展開していたが、1992年(平成4年)に当時運営していた総合スーパー2店の食品部門を除く営業権を親会社の西友へ譲渡[21]。1994年(平成6年)5月から1997年(平成9年)2月までに、既存店58店中23店を閉鎖しつつ新店16店を開業、12店を改装するなど店舗の標準化とチェーン展開の徹底を図り[22]、食品スーパーの運営に特化していった。
1997年(平成9年)8月7日に名証第2部に上場した[1]。
1998年(平成10年)3月期には長野県下小売業の売上げランキングで松電商事(現・デリシア)を抜いて第2位になり[23]、また、2001年2月期にはジャスコから譲り受けた6店を含め、12店舗の新店を開設するなどして売上拡大を図り[24]、同年度の長野県小売業の売上げランキング1位となった[25]。
1999年(平成11年)4月16日に群馬県のスーパー丸善の店舗を譲り受け、エリアを広げた[26]。
西友が住友商事と資本業務提携した[27]ことに伴う事業再編の一環として、2000年(平成12年)8月31日に西友が株式の5%を追加取得して西友の子会社となった[28]。西友グループの合理化策の一環として一体運営を目的に、2003年(平成15年)7月1日付で、西友との株式交換による完全子会社化に伴い上場廃止[29]。2004年(平成16年)4月1日からは、西友と地域毎の店舗運営の共同運営が開始され[30] 、翌月5月から西友に合わせて商品調達先を大手卸に集中させた[31] 。
その後、2008年(平成20年)7月1日付で西友に吸収合併されて消滅した[9]。この時点で56店舗を運営していた[32]。
営業地域
[編集]前述のとおり、当初は長野県のみを担当する目的で設立されたが[1]、1991年(平成3年)に愛知県小牧市のブイ・マートと合併[1]、1999年(平成11年)4月16日に群馬県のスーパー丸善の店舗を譲り受けてエリアを広げたため[26]、愛知県・群馬県では西友とエリアが重なっていた(岐阜県内の西友はすべてエス・エス・ブイの運営であった)[要出典]。
このように、長野県以外にも愛知県や岐阜県、群馬県などにも展開したが、2002年2月期決算の地域別売上の80.6%を長野県が占めており、他県での売上高は一部分に留まっていた[33]。
年表
[編集]- 1971年(昭和46年)10月16日 - 「株式会社西友ストアー長野」を設立[4](資本金1000万円[10]。西友ストアー60%[10]、魚力40%[10])。
- 1972年(昭和47年)
- 1974年(昭和49年)
- 1975年(昭和50年)
- 1980年(昭和55年)11月 - スーパー丸善と資本提携を含む全面提携[17]。
- 1981年(昭和56年)11月 - 長野物流センターに低温冷蔵設備を導入し、低温配送を開始[13]。
- 1983年(昭和58年)6月1日 - 株式会社長野西友に社名変更[18]。
- 1991年(平成3年)9月1日[19] - 19店舗を有する株式会社ブイ・マート(愛知県小牧市)と合併し[19]株式会社エス・エス・ブイに社名変更[13]。
- 1992年(平成4年) - 運営する総合スーパー2店の食品を除く営業権を株式会社西友に移管[21]。
- 1997年(平成9年)8月7日 - 名証第2部に上場[1]。
- 1999年(平成11年)4月16日 - 株式会社スーパー丸善(群馬県渋川市)から3店舗を譲受[26]。
- 2000年(平成12年)2月16日 - ジャスコ株式会社(千葉県千葉市)から長野県内の食品スーパーマーケット6店舗を譲受[34]。
- 2003年(平成15年)
- 2008年(平成20年)7月1日 - 株式会社西友に吸収合併[9]。
かつて展開されていた店舗
[編集]開業日について、「大規模小売店舗一覧」を用いている場合には、前身の店舗を含めた資料となるため、当社としての開業日とは異なる可能性がある。
長野県
[編集]長野市
[編集]- 売場面積168m2[36]
- 売場面積110m2[36]
- 新店舗を開設して移転したため閉店となった[33]
- 売場面積約999m2の店舗で1,000m2規模の食品スーパーのモデル店として開設された[47]。
- 売場面積約1,609m2[48]
- 旧綿内駅前 跡地は宅地[要出典]
- 売場面積約900m2[38]
- 売場面積約400m2[51]
- 高田店(長野市高田字中村沖309-6[52])
- ウエルマート高田店を2000年(平成12年)2月16日にジャスコから譲渡され、改装後の2000年(平成12年)3月1日に新装開店[34]。
- 三本柳店(長野市三本柳東2-8[52])
- 売場面積851m2[57]
- 売場面積約2,856m2[54]
- 売場面積約3,045m2[49]
- 売場面積約2,275m2[49]
- 売場面積約5,227m2[62]
- 国道18号沿いに出店していた食品スーパーで[62]、売上の主力は食料品であったものの[63]、中元・歳暮やクリスマス・父の日・母の日などの売上が同規模の店舗の約倍の売上が上がるなど総合スーパーの様な利用のされ方をしていた[62]。
北信地区
[編集]- 売場面積約2,323m2[49]
- 1995年7月28日に売場面積約1,831m2[70]
- 当店の出店により、更埴市の買い物客の流れが大きく変わったとされている[72]。
- 店舗の老朽化と駐車場不足や商業集積の移動などに対応するため約1km離れた場所に粟佐店を開設することに伴って閉店となった[71]。
- 更埴店に代替店舗として同店から約1km離れた場所に開設[71]。
- 売場面積528m2[35]
- 店舗面積2,033m2[38]。
上田地区
[編集]- 売場面積約2,316m2[49]
- 売場面積約2,010m2[49]
佐久地区
[編集]- 敷地面積約1,998m2[93]、鉄筋コンクリート造地下1階地上6階建て塔屋1階[93]、延べ床面積約11,474m2[93]、店舗面積約6,140m2[93](直営店舗面積約3,732m2[93])、駐車台数約22台[93]。
- 昭和堂(約2,408m2)と共に「小諸ファッションデパート」の核店舗として出店していた[93]。
- 1999年(平成11年)3月18日にホームセンターのコメリと共同出店した[94]。
- ウエルマート望月店を2000年(平成12年)2月16日にジャスコから譲渡され、改装後の2000年(平成12年)3月1日に新装開店[34]。
- 売場面積約1,564m2[49]
- 敷地面積約4,027m2[96]、鉄骨造地上2階建て塔屋1階[96]、延べ床面積約6,507m2[96]、店舗面積約5,365m2[96](当社店舗面積約757m2[96])、駐車台数約350台[96]。
- 高橋商事(約1,066m2)と共に「中央名店」の核店舗として出店していた[97]。
- 敷地面積約26,038m2[97]、鉄骨造地上2階建て塔屋1階[97]、延べ床面積約12,274m2[97]、店舗面積約7,826m2[97](当社店舗面積約1,011m2[97])、駐車台数約800台[97]。
- アスク(約1,235m2)・はなおか(約1,024m2)・ホームセンターイケウチ(約1,042m2)と共にバスターミナル併設の「ショップシティ リッチランド」の核店舗として出店していた[97]。
- 800m南に岩村田相生店を開店[98]
- 売場面積約2,319m2[49]
- 安原店(佐久市[54])
- 売場面積約2,966m2[54]
松本地区
[編集]- アサヒ店(松本市宮田19-16[44](旧・出川町野溝3079-3[5])、1969年(昭和44年)7月開店[44])
- 南松本店(松本市双葉3-6[44](旧・出川町字平田里358-61[5])、1977年(昭和52年)11月開店[44])
- 芳川店(松本市芳川村井町一里山802[5]、1977年(昭和52年)7月開店[44])
- 渚店(松本市渚1-1-9[5][67]、1969年(昭和44年)4月開店[44])
- 売場面積約1,502m2[49]
- 店舗面積1,614m2[54]
- 売場面積約2,311m2[49]
- 売場面積約2,943m2[54]
安曇野地区
[編集]- (2代目)松川店(北安曇郡松川村字東川原5723-11[52][49]、1995年(平成7年)3月24日開店[102])
- 初代店舗の向かい側に移転増床する形で開設された売場面積約2,455m2の店舗[102]。
- 売場面積約1,344m2[49]
- 店舗面積2,208m2[108]。
- 売場面積700m2[109]
- 店舗面積1,601m2[52]。
諏訪・塩尻地区
[編集]- 売場面積約2,112m2[49]
- 売場面積約1,656m2[49]
- 売場面積420m2[112]
- 店舗面積1,314m2[52]。
- 敷地面積約9,250m2[114]、鉄骨造地上1階建て[114]、延べ床面積約4,902m2[114]、店舗面積約2,991m2[114](当社店舗面積約1,126m2[114])、駐車台数約240台[114]。
- 売場面積約2,493m2[49]
- JR下諏訪駅からも近い住宅密集地の諏訪大社春宮前に出店した[117]。
- 店舗面積2,278m2[52]。
- 店舗面積2,500m2[52]。
- 売場面積約2,204m2[49]
伊那地区
[編集]- 売場面積約2,200m2[49]
- 売場面積約1,754m2[49]
- 箕輪店(伊那郡箕輪町大字中箕輪8004[49]、1999年(平成11年)7月30日開店[49])
- (初代)駒ヶ根店(駒ヶ根市赤穂2312[5]、1974年(昭和49年)6月開店[125] - 1984年(昭和59年)閉店[125])
- 松電ストア(現・デリシア)との共同出店で、5階まで売り場のある店舗だった[125]。当社撤退後は3階までに売り場を縮小し、松電ストアが営業を引き継いだが、2005年(平成17年)6月末で閉店した[125]。
- 売場面積約3,593m2[49]
群馬県
[編集]スーパー丸善から継承して出店した[126]。
- 売場面積498m2[130]
- 下浜田ショッピングプラザに出店[131]。
愛知県
[編集]- 店舗面積1,081m2[52]。
- 店舗面積847m2[52]。
- 店舗面積2,072m2[52]。
- 店舗面積2,206m2[52]。
- ブイ・マートとの合併後初となる愛知県内への出店。延べ床面積約2,126m2、売場面積約1,876m2で190台の駐車場を併設していた[135]。
岐阜県
[編集]- 店舗面積996m2[52]。
- 店舗面積1,980m2[52]。
- 桜ケ丘団地内へ出店[139]
実現しなかった店舗
[編集]過去に存在した事業所
[編集]脚注
[編集]出典
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広報資料・プレスリリースなど一次資料
[編集]- ^ “西友長野石堂店 店舗詳細 西友”. 西友. 2018年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月27日閲覧。