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アーガー・ハーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロシア大統領ウラジーミル・プーチンと会談するアーガー・ハーン4世

アーガー・ハーン (ラテン文字: Aga Khan, Aqa Khan, Agha Khan[1]ペルシア語: آقا خان‎) はイスラム教イスマーイール派の中の分派ニザール派イマームに対して1818年より使用されている称号である。2013年現在アーガー・ハーンの称号を得ているのは第49代イマーム (1957年-) のプリンス・シャー・カリーム・アル・フサイニー (アーガー・ハーン4世、1936年生) である。

ハサン・アリー・シャー(アーガー・ハーン1世)

アーガー・ハーンという称号はもともと、ニザール派第46代イマーム (1817年-1881年) であったハサン・アリー・シャー英語版 (1800年-1881年) に対して、ガージャール朝の王ファトフ・アリー・シャーが敬意を表して贈った称号であった[2][3]

第一次アフガン戦争 (1841年-1842年) の後半の時期、ハサン・アリー・シャーと直属の騎兵隊はカンダハール州においてウィリアム・ノット英語版への支援を行い、リチャード・イングランド英語版シンド州からノットに加勢する際の進軍に対しても救援を行った。 彼はインドの大英帝国政府代表から「プリンス」の称号を受け、イギリス領インド帝国から個人的な祝砲を受けた唯一の宗教的・ 地域的な指導者となった。 最初のアーガー・ハーンとなったハサン・アリー・シャーはアフガニスタンからシンド州を訪れ、彼の軍隊はシンド州のミール・ナシル・ハーンにより歓待を受けた。 1887年インド総督を通して活動を行なっていたインド事務局長英語版は公式に「アーガー・ハーン」という称号を認定した。

  1. アーガー・ハーン1世英語版 — ハサン・アリー・シャー (1800年-1881年), ニザール派第46代イマーム (1817年-1881年)
  2. アーガー・ハーン2世英語版 — アーガー・アリー・シャー (1830年-1885年), ニザール派第47代イマーム (1881年4月12日-1885年)
  3. アーガー・ハーン3世 — サー・スルターン・モハマド・シャー (1877年-1957年), ニザール派第48代イマーム (1885年8月17日-1957年)
  4. アーガー・ハーン4世 — プリンス・シャー・カリーム・アル・フサイニー (1936年生-)、ニザール派第49代イマーム (1957年7月11日-)

脚注

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  1. ^ Daftary, Farhad (2007). The Ismailis: Their History and Doctrines Second Ed.. Cambridge: Cambridge University Press. ISBN 978-0-511-35561-5 
  2. ^ Daftary, Farhad (2004). Ismaili Literature: A Bibliography Of Sources And Studies. Institute of Ismaili Studies. ISBN 978-1-850-43439-9 
  3. ^ "41. Hassanali, the first Aga Khan (which defendant No. 1 [i.e. Sultan Mohammed Shah Aga Khan III] tells us is not a title but a sort of alias," a pet name when Hassanali was a young man) was "Russell, Sir Justice. “Bombay High Court:Haji Bibi vs H.H. Sir Sultan Mahomed Shah 1 September 1908”. High Court of Bombay. 2013年3月31日閲覧。
  • "Les Agas Khans", Yann Kerlau, Perrin 2004

外部リンク

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