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アエルマッキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アエルマッキ
元の種類
子会社
業種 航空機
その後 統合
後継 アレーニア・アエルマッキ
設立 1912年
創業者 ジュリオ・マッキ
解散 2003年, 2012年1月
本社
親会社 フィンメッカニカ(2003年 - )

アエルマッキ (Aermacchi) は、かつて存在したイタリア航空機メーカー。第二次世界大戦後はオートバイも生産した。

2003年7月にアエルマッキはフィンメッカニカグループに買収された。その後アレーニア・アエロナウティカと統合され、アレーニア・アエルマッキとなった。

歴史

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1912年ロンバルディア州北西部のヴァレーゼジュリオ・マッキ英語版により設立された「ニューポール=マッキ株式会社」(Societa Anonima Nieuport-Macchi )に始まる。当初は第一次世界大戦時の有名なフランスの戦闘機ニューポール・タイプ11ベベのようなニューポール製航空機のライセンス生産を主に行ったが、鹵獲したオーストリア=ハンガリー軍ローナー L飛行艇をマッキL.1イタリア語版の名でコピー生産したのを皮切りに、ヴァレーゼ湖イタリア語版畔の工場で飛行艇・水上機の事業に乗り出した。

終戦と共に軍からの受注が減少した結果、会社は水上機の生産に特化し、初期は軍用機からの転換を行い、例えば旅客輸送や郵便のような民間用途の航空機を生産した。スピードレース時代(イタリアでは1919年から)、マッキの航空機は最高速において400、500の壁を越え最終的に700km/hに達した。

1920年代には社名を「アエロナウティカ・マッキ」(Aeronautica Macchi )とした。

第二次世界大戦の間は有名な戦闘機M.C.200M.C.202M.C.205を生産した。

トラダーテ (VA) - エルマンノ・バッツォッキ技師を記念した場所の アエルマッキ MB-326

2003年、アエルマッキはフィンメッカニカグループに属する事となった。

2012年、同じフィンメッカニカ傘下の航空機メーカーであるアレーニア・アエロナウティカと合併し、「アレーニア・アエルマッキ」となった。

生産機種

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第一次世界大戦

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戦間期

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第二次世界大戦

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戦後

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自動二輪

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A blue and cream-colored motorcycle
キメラ175(1957年)、ソルバング・ヴィンテージモーターサイクルミュージアム
キメラ175(1957年)

アエルマッキは第二次世界大戦後、平和産業への転換を図り三輪トラックとオートバイの製造を開始した。第二次世界大戦中ベネリで航空機エンジンの製造をしていたリノ・トンティ(Lino Tonti )が1956年まで開発を担当した。1956年からはアルフレッド・ビアンキ(Alfred Bianchi )が開発を担当することとなる。

1960年にアメリカのハーレーダビッドソンがアエルマッキのオートバイ部門の50%を買収した。その後残りの50%も1974年にAMF-ハーレーダビッドソンに売却され、完全子会社となったが、生産はヴァレーゼで継続された。その後1978年にカジバに買収されそのオートバイ部門の母体となった。また1997年からは、同ヴァレーゼ湖畔の工場にて新生アグスタのオートバイを製造している。

主な車種

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航空機メーカーの製品らしく「アラ」(Ala 、イタリア語で「翼」の意)など空に関連する車種名が使用されている。

  • キメラ175Chimera 175
  • キメラ250Chimera 250 ) - OHV水平単気筒。
  • アラ・ヴェルデ175Ala Verde 175 ) - 「緑の翼」の意。
  • アラ・ヴェルデ250Ala Verde 250
  • アラ・ブリュAla Blu ) - 「青い翼」の意。
  • アラ・ロッサAla Rossa ) - 「赤い翼」の意。
  • アラ・ビアンカAla Bianca ) - 「白い翼」の意。
  • アラ・ドーロ250Ala d'Oro 250 ) - 「金の翼」の意。250ccOHV単気筒。
  • アラ・ドーロ250SAla d'Oro 250S ) - OHV単気筒の市販レーサー。

関連項目

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外部リンク

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