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「歌川重次」の版間の差分

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== 来歴 ==
== 来歴 ==
[[歌川広重 (2代目)|二代目歌川広重]]の門人<ref>原色浮世絵大百科事典第2巻、46頁。</ref>。 本姓大宅、歌川の画姓を称し一笑斎とす。作画期は[[安政]]から[[元治]]の頃にかけて、[[錦絵]]と[[肉筆画]]を残す。二代目広重とともに甲府に滞在し肉筆貼交屏風「朝比奈及び宝子珠」描いている。『浮世絵師伝』は初代[[歌川広重]]の門人としている。
『増補浮世絵師人名辞書』によれば初代[[歌川広重]]の門人、一昇斎と号す。『浮世絵師伝本姓大宅一笑斎とす。作は[[文久]]から[[元治]]の頃にかけてのものが知られる。元治元年(1864年)、[[歌川広重 (2代目)|二代目広重]]が甲府に赴い重次も同行し同地に絵している。


== 作品 ==
== 作品 ==
* 「忠臣蔵 見立」 大判錦絵2枚 ※文久3年(1863年)[https://myup.cute.bz/uw/?page=entry&lang=jp&entry_id=33712][https://myup.cute.bz/uw/?page=entry&lang=jp&entry_id=33711]
* 「忠臣蔵見立」 大判錦絵
* 「新板虫つくし」 大判錦絵 [[くもん子ども浮世絵ミュージアム]]所蔵 ※文久頃、[[蔦屋吉蔵|蔦吉]]版
* 「[https://www.kumon-ukiyoe.jp/index.php?main_page=product_info&cPath=5_6&products_id=435 新板虫つくし]」 大判錦絵 くもん子ども浮世絵ミュージアム所蔵 ※文久頃、[[蔦屋吉蔵|蔦吉]]版
* 「貼交屏風」 六曲一双 個人蔵 ※二代目広重らによる小品画を屏風に張り交ぜたもの。このうち重次の作で「朝比奈」と「宝子珠」の絵あり。
* 「朝比奈及び宝子珠」 肉筆貼交屏風

== 脚注 ==
<references />


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* [[井上和雄 (浮世絵研究者)|井上和雄]]編 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※[{{NDLDC|1186832}} 国立国会図書館デジタルコレクション]に本文あり87コマ目
* 桑原羊次郎 『増補浮世絵師人名辞書』 教文館、1930年
* [[井上和雄 (浮世絵研究者)|井上和雄]]編 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※[[国立国会図書館デジタルコレクション]]に本文あり[{{NDLDC|1186832/87}}]
* 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典2 大修館書店1982
* 楢崎宗重 「浮世絵甲斐土産 ―絵師所伝に関する研究―」 『浮世絵』第第一号 浮世絵同好会1937


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2024年8月30日 (金) 00:12時点における版

歌川 重次(うたがわ しげつぐ、生没年不詳)とは、江戸時代浮世絵師

来歴

『増補浮世絵師人名辞書』によれば初代歌川広重の門人、一昇斎と号す。『浮世絵師伝』は本姓を大宅氏、「一笑斎」とする。作は文久から元治の頃にかけてのものが知られる。元治元年(1864年)、二代目広重が甲府に赴いた際、重次も同行し同地に絵を残している。

作品

  • 「忠臣蔵 見立」 大判錦絵2枚 ※文久3年(1863年)[1][2]
  • 新板虫つくし」 大判錦絵 くもん子ども浮世絵ミュージアム所蔵 ※文久頃、蔦吉
  • 「貼交屏風」 六曲一双 個人蔵 ※二代目広重らによる小品画を屏風に張り交ぜたもの。このうち重次の作で「朝比奈」と「宝子珠」の絵あり。

参考文献

  • 桑原羊次郎 『増補浮世絵師人名辞書』 教文館、1930年
  • 井上和雄編 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり[3]
  • 楢崎宗重 「浮世絵甲斐土産 ―絵師所伝に関する研究―」 『浮世絵界』第二巻第一号 浮世絵同好会、1937年