「歌川国照」の版間の差分
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* 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) [大修館書店、1982年 |
* 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) [大修館書店、1982年 ※115頁 |
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2024年8月22日 (木) 00:00時点における版
歌川 国照(うたがわ くにてる、文化5年〈1808年〉 - 明治9年〈1876年〉1月23日)とは、江戸時代後期から明治時代はじめにかけての浮世絵師。
来歴
歌川国直及び初代歌川豊国の門人。本姓は山下、名は彦三郎(一説に惣右衛門)。下総国古河藩士。歌川の画姓を称し、晩庵、琴松、のちに香梅楼を号す。作画期は文政から慶応の頃にかけてとされ、作に役者絵が知られるが谷文晁風のものもある。享年69。
作品
- 「高ノ師直/大星由良之介・市ノ川市蔵」 大判錦絵 赤穂市立歴史博物館所蔵 ※文化8年4月、江戸森田座の『仮名手本忠臣蔵』より
- 「由井民部之助・市川團十郎 遊女松山・尾上菊五郎」 団扇絵 プラハ国立美術館所蔵 ※文政10年6月、江戸河原崎座の『独道中五十三駅』より
参考文献
- 井上和雄編 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり[1]。
- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) [大修館書店、1982年 ※115頁