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「歌川国照」の版間の差分

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'''歌川 国照'''(うたがわ くにてる、[[文化 (元号)|文化]]5年〈[[1808年]]〉 - [[明治]]9年〈[[1876年]]〉[[1月23日]])とは、[[江戸時代]]後期から[[明治]]時代はじめにかけての[[浮世絵師]]。
'''歌川 国照'''(うたがわ くにてる、[[文化 (元号)|文化]]5年〈[[1808年]]〉 - [[明治]]9年〈[[1876年]]〉[[1月23日]])とは、[[江戸時代]]後期から[[明治]]時代はじめにかけての[[浮世絵師]]。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
[[歌川国直]]及び初代[[歌川豊国]]の門人。本姓は山下、名は彦三郎(一説に惣右衛門)。[[下総国]]([[茨城県]])[[古河藩]]士。初めは直照と称し晩庵、琴松、のちに香梅楼号す。作画期は[[文政]]から[[慶応]]の頃にかけてとされ、[[肉筆]]の[[風俗画]]を描く。[[浮世絵]]以外に[[谷文晁]]風のもあるという。享年69。
[[歌川国直]]及び初代[[歌川豊国]]の門人。本姓は山下、名は彦三郎(一説に惣右衛門)。[[下総国]][[古河藩]]士。歌川の画姓を称し晩庵、琴松、のちに香梅楼号す。作画期は[[文政]]から[[慶応]]の頃にかけてとされ、作に[[役者絵]]が知られるが[[谷文晁]]風のものもある。享年69。


== 作品 ==
== 作品 ==
* 「[https://www.dh-jac.net/db/nishikie/AkoRH-R0302/portal/ 高ノ師直/大星由良之介・市ノ川市蔵]」 大判錦絵 [[赤穂市立歴史博物館]]所蔵 ※文化8年4月、江戸[[森田座]]の『[[仮名手本忠臣蔵]]』より
* 「芝居絵(大星由良乃介)」 錦絵 中土佐町立美術館所蔵
* 「市川十郎 尾上菊五郎」 絵 [[プラハ国立美術館]]所蔵
* 「[https://lapis.nichibun.ac.jp/zai/Detail?gid=G1303421 由井民部之助・市川十郎 遊女松山・尾上菊五郎]」 [[団扇]] [[プラハ国立美術館]]所蔵 ※文政10年6月、江戸[[河原崎座]]の『独道中五十三駅』より


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* [[井上和雄 (浮世絵研究者)|井上和雄]]編 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※[{{NDLDC|1186832}} 近代デジタルライブラリー]に本文あり73コマ目
* [[井上和雄 (浮世絵研究者)|井上和雄]]編 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※[[国立国会図書館デジタルコレクション]]に本文あり[{{NDLDC|1186832/73}}]
* 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) [大修館書店、1982年
* 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) [大修館書店、1982年 ※115頁


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2024年8月22日 (木) 00:00時点における版

歌川 国照(うたがわ くにてる、文化5年〈1808年〉 - 明治9年〈1876年1月23日)とは、江戸時代後期から明治時代はじめにかけての浮世絵師

来歴

歌川国直及び初代歌川豊国の門人。本姓は山下、名は彦三郎(一説に惣右衛門)。下総国古河藩士。歌川の画姓を称し、晩庵、琴松、のちに香梅楼を号す。作画期は文政から慶応の頃にかけてとされ、作に役者絵が知られるが谷文晁風のものもある。享年69。

作品

参考文献