国鉄C35形コンテナ
(C35形式から転送)
国鉄C35形コンテナ(こくてつC35がたコンテナ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が、1984年(昭和59年)から1986年(昭和61年)まで製造した、鉄道輸送用の12ft長5トン積み有蓋コンテナである。
国鉄C35形コンテナ | |
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JR貨物九州支社管内での、宮崎県自主流通米 輸送に携わっていた名残の残る、C35-10329 | |
基本情報 | |
製造メーカー | 富士重工業、東急車輛製造他 |
製造初年 | 1984年(昭和59年) |
製造数 | 11,600個 |
形式消滅年 | 2010年(平成22年) |
主要諸元 | |
外面色 | 青22号 |
全長(内寸法) | 3,658mm (3,546mm) |
全幅(内寸法) | 2,438mm (2,327mm) |
全高(内寸法) | 2,438mm (2,086mm) |
荷重 | 5 t |
内容積 | 17.2 m3 |
自重 | 1.3 t |
扉位置 | 片側側面、片側妻面 |
概要
編集1983年(昭和58年)に、国鉄は複数方向から荷役可能な二方開きのC31形を製造していたが、全高を若干高くし内容積を増やしつつも、自重及び製造コストの低減を図った本形式が開発された。国鉄コンテナ初の内張りベニヤ板の全面廃止等、構造の簡易化や製作工数の削減により、1個当たりの製造価格は従来の4分の3に削減され、財政難の国鉄末期における大量増備を可能とした。製造は民間の富士重工業、東急車輛製造のみならず、苗穂・盛岡・土崎・仙台・郡山・大宮・大井・大船・長野・名古屋・鷹取・後藤・広島・幡生・多度津・小倉の16工場、釧路・新津・鹿児島の各車両管理所、旭川・五稜郭・若松の各車両センター、博多総合車両部などの国鉄工場でも広く分散して行われた。製作数は11,600個である。
しかし、1986年(昭和61年)に、本形式に従来通りの内張りベニヤ板を施した新形式となるC36形へと製造が移行し、本コンテナの製造は中止された。
構造
編集- 荷役扉は、側面及び妻面の二方開きで、外法寸法は高さ2,438mm、幅2,438mm、長さ3,658mmと、従来の国鉄コンテナより全高が若干増えている。最小内法寸法は高さ2,081mm、幅2,322mm、長さ3,541mm。妻入口は高さ1,937mm、幅2,257mm。側入口は高さ1,937mm、幅3,351mm。床面積は8.3m2、内容積は17.2m3。
- 側板および屋根、扉に至るまでプレス鋼板製として自動溶接を可能とし、工作の簡易化を図っている。また、製造所により2種のプレス形状がある。
- 内部に結露防止用の内張り合板を全く張っていないほか、鋼板に防錆塗料を塗ってある点などが、他のコンテナと大きく違う。
- 製造時期により、荷票受・表示票受の位置に差異がある。初期に製造されたものは、右側の側扉に荷票受とその上に表示票受、反対側面の右端に荷票受が設けられていた。途中から、側扉の荷票受が左側に移され、反対側面の荷票受も左端に移動している。
- 塗装は、青22号「コンテナブルー」一色とされた。この色は、後に発足したJR貨物のコーポレートカラーにも採用されている。
現状
編集- 1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化に際しては、11,592個が日本貨物鉄道(JR貨物)に引き継がれ、継続使用された。
- 1994年(平成6年)度以降、19B形や19D形、19G形といった新形コンテナの登場によって、廃棄やWC35形への改造が進み、2010年(平成22年)度に全廃された。
参考文献
編集- 貨車技術発達史編纂委員会(編著)『日本の貨車 技術発達史 明治5(1872)年〜平成16(2004)年』社団法人日本鉄道車輌工業会、2008年3月。全国書誌番号:21465967。
- 吉岡心平『国鉄コンテナのすべて』 下、ネコ・パブリッシング〈RM LIBRARY 122〉、2009年11月。ISBN 978-4-77705265-3。