1995年ポルトガル議会選挙
1995年ポルトガル議会選挙(1995ねんぽるとがるぎかいせんきょ、ポルトガル語:Eleições legislativas portuguesas de 1995)は、ポルトガル共和国の立法府である共和国議会(Assembleia da República)を構成する議員を選出するため、1995年10月1日に行われた選挙である。
概要
編集共和国議会議員の任期満了に伴って行われた選挙で、ポルトガル第三共和政では8回目の選挙となった。
選挙制度
編集選挙結果
編集党派 | 得票数 | 得票率[4] | 議席数 |
---|---|---|---|
社会党(PS) | 2,583,755 | 43,76 | 112 |
社会民主党(PPD/PSD) | 2,014,589 | 34,12 | 88 |
民主社会中道・人民党(CDS-PP) | 534,470 | 9,05 | 15 |
統一民主同盟[5](CDU) | 506,157 | 8,57 | 15 |
その他の政党[6] | 152,790 | 2.58 | 0 |
白票 | 45,793 | 0.78 | ― |
無効票 | 67,300 | 1.14 | ― |
合計 | 5,904,854 | 250 | |
男性当選者 | (200) | ||
女性当選者 | (30) |
- 投票率:66.30%
- 出典:
開票の結果、全国でまんべんなく得票を重ねたPSが与党PSDを30議席以上も上回って第一党となった。この結果、1985年に政権を失って以来PSは10年ぶりに政権に返り咲くことになった。PSの勝因としては、①10年に及ぶPSDによる長期政権で国民が変化を望んでいたこと、②PSD政権の緊縮財政政策による景気回復の遅れ、③PSD政権が抜本的な失業対策に欠けていた。―などが挙げられている[7]。10月12日、ソアレス大統領は、PS書記長であるアントニオ・グテーレスを正式に首相に指名し、10年間に及ぶPSD政権にピリオドが打たれた。
選挙結果とは直接の関係はないが、ソウルオリンピック女子マラソンの金メダリストであるロザ・モタがPSから出馬して当選を果たしている[8]。
脚注
編集- ^ 国立国会図書館政治議会課憲法室 三輪和宏 「諸外国の下院の選挙制度-資料-」(PDF)国立国会図書館
- ^ 2005年10月14日 CLAIR REPORT NO274『ポルトガルの地方自治』(PDF)自治体国際化協会。4~5頁
- ^ CNE Assembleia da República - 01/10/1995 Resultados Nacionais
- ^ 各政党の得票率は有効得票と白票・無効票を合計したものを100として計算したものである。
- ^ ポルトガル共産党(PCP)と緑の党(PEV)による選挙連合。
- ^ 名簿を提出したが、議席を得る事ができなかった政党や候補者連合は9つである。
- ^ 「社会党、政権を奪回 ポルトガル総選挙 10年ぶりに第一党」朝日新聞1995年10月2日付夕刊2面
- ^ 「モタさんにも当選の"バラ" ポルトガル総選挙 マラソン女王、国会へ」朝日新聞1995年10月3日付9面国際
- 上記外部リンクはいずれも2010年1月13日閲覧
参考文献
編集- CNE Comissao Nacional de Eleicoes(国民選挙委員会)
- CNE Resultados Elecitorais(国民選挙委員会選挙リサーチ)-ポルトガル第三共和政下で行われた国政と地方選挙の詳細な選挙結果が閲覧できる。
- 馬場康雄・平島健司編『ヨーロッパ政治ハンドブック』東京大学出版会