1995年の相撲
1995年の相撲(1995ねんのすもう)は、1995年の相撲関係のできごとについて述べる。
大相撲
編集できごと
編集- 1月、春巡業から公式スポンサー制度を導入することを決定。阪神・淡路大震災の義援金を贈る。千秋楽・土俵下で初めて優勝力士インタビューが行われた。阪神・淡路大震災に配慮し、土俵下で黙とうが行われ、優勝パレードが中止にされた。
- 2月、5日、報恩古式大相撲が行われた。
- 4月、元前頭3枚目琴椿引退、年寄白玉襲名。富岡八幡宮で横綱力士碑刻銘奉告祭と披露宴が復活し、曙、貴乃花らが出席。
- 5月、国技館にエレベーター付きの常備櫓が完成。
- 6月、終戦50周年を記念した日米戦没将兵鎮魂のため、曙、貴乃花の奉納横綱土俵入りが硫黄島で行われた。
- 9月、元関脇琴富士引退、年寄粂川襲名。
- 10月、6日、大相撲ヨーロッパ公演の一行約100人が出発。8日にウィーン公演、13、14日にパリ公演が行われ、17日に帰国。約10年間禁止していたCM出演を巡業の特別協賛者に限り認めた。
- 11月、26日、大相撲九州場所千秋楽で、史上初の兄弟による優勝決定戦が実現(“若貴対決”)。兄の大関若乃花が弟の横綱貴乃花を破り優勝した。
- 12月、大相撲ファン感謝祭を開催。財団法人日本相撲協会設立70周年記念式典が行われた。
本場所
編集一月場所(初場所)
編集両国国技館(東京都)を会場に、初日の1月8日(日)から千秋楽の1月22日(日)までの15日間開催された。
タイトル | 人物(所属部屋 出身地) - 成績 | |
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幕内最高優勝 | 貴乃花光司(二子山部屋 東京都中野区出身) - 13勝2敗(3場所連続8回目) ※優勝決定戦勝利 | |
三賞 | 殊勲賞 | 魁皇博之(友綱部屋 福岡県直方市出身) - 8勝7敗(5場所ぶり2回目) |
敢闘賞 | 安芸乃島勝巳(二子山部屋 広島県豊田郡安芸津町出身) - 11勝4敗(17場所ぶり6回目) 大翔鳳昌巳(立浪部屋 北海道札幌市豊平区出身) - 11勝4敗(14場所ぶり2回目) | |
技能賞 | 該当者なし | |
十両優勝 | 旭豊勝照(大島部屋 愛知県春日井市出身) - 11勝4敗 ※優勝決定戦勝利 |
→詳細は「大相撲平成7年1月場所」を参照
三月場所(春場所、大阪場所)
編集大阪府立体育会館(大阪市)を会場に、初日の3月12日(日)から千秋楽の3月26日(日)までの15日間開催された。
タイトル | 人物(所属部屋 出身地) - 成績 | |
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幕内最高優勝 | 曙太郎(東関部屋 アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島出身) - 14勝1敗(6場所ぶり8回目) | |
三賞 | 殊勲賞 | 寺尾常史(井筒部屋 鹿児島県姶良郡加治木町出身) - 8勝7敗(5場所ぶり3回目) |
敢闘賞 | 安芸乃島勝巳(二子山部屋 広島県豊田郡安芸津町出身) - 11勝4敗(2場所連続7回目) | |
技能賞 | 該当者なし | |
十両優勝 | 時津洋宏典(時津風部屋 徳島県美馬郡脇町出身) - 10勝5敗 ※優勝決定戦勝利 |
→詳細は「大相撲平成7年3月場所」を参照
五月場所(夏場所)
編集両国国技館(東京都)を会場に、初日の5月14日(日)から千秋楽の5月28日(日)までの15日間開催された。
タイトル | 人物(所属部屋 出身地) - 成績 | |
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幕内最高優勝 | 貴乃花光司(二子山部屋 東京都中野区出身) - 14勝1敗(2場所ぶり9回目) | |
三賞 | 殊勲賞 | 武双山正士(武蔵川部屋 茨城県水戸市出身) - 11勝4敗(4場所ぶり3回目) |
敢闘賞 | 武双山正士(武蔵川部屋 茨城県水戸市出身) - 11勝4敗(4場所ぶり2回目) | |
技能賞 | 該当者なし | |
十両優勝 | 土佐ノ海敏生(伊勢ノ海部屋 高知県安芸市出身) - 14勝1敗 |
→詳細は「大相撲平成7年5月場所」を参照
七月場所(名古屋場所)
編集愛知県体育館(名古屋市)を会場に、初日の7月2日(日)から千秋楽の7月16日(日)までの15日間開催された。
タイトル | 人物(所属部屋 出身地) - 成績 | |
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幕内最高優勝 | 貴乃花光司(二子山部屋 東京都中野区出身) - 13勝2敗(2場所連続10回目) | |
三賞 | 殊勲賞 | 琴錦功宗(佐渡ヶ嶽部屋 群馬県群馬郡箕郷町出身) - 8勝7敗(22場所ぶり5回目) 剣晃敏志(高田川部屋 大阪府守口市出身) - 11勝4敗(初受賞) |
敢闘賞 | 琴の若實哉(佐渡ヶ嶽部屋 山形県尾花沢市出身) - 9勝6敗(初受賞) | |
技能賞 | 武双山正士(武蔵川部屋 茨城県水戸市出身) - 10勝5敗(初受賞) | |
十両優勝 | 旭鷲山昇(大島部屋 モンゴル・ウランバートル出身) - 10勝5敗 |
→詳細は「大相撲平成7年7月場所」を参照
九月場所(秋場所)
編集両国国技館(東京都)を会場に、初日の9月10日(日)から千秋楽の9月24日(日)までの15日間開催された。
タイトル | 人物(所属部屋 出身地) - 成績 | |
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幕内最高優勝 | 貴乃花光司(二子山部屋 東京都中野区出身) - 15戦全勝(3場所連続11回目) | |
三賞 | 殊勲賞 | 魁皇博之(友綱部屋 福岡県直方市出身) - 11勝4敗(4場所ぶり3回目) |
敢闘賞 | 琴稲妻佳弘(佐渡ヶ嶽部屋 群馬県利根郡新治村出身) - 9勝6敗(初受賞) 土佐ノ海敏生(伊勢ノ海部屋 高知県安芸市出身) - 11勝4敗(初受賞) | |
技能賞 | 琴錦功宗(佐渡ヶ嶽部屋 群馬県群馬郡箕郷町出身) - 10勝5敗(9場所ぶり5回目) | |
十両優勝 | 若ノ城宗彦(間垣部屋 沖縄県那覇市出身) - 12勝3敗 |
→詳細は「大相撲平成7年9月場所」を参照
十一月場所(九州場所)
編集福岡国際センター(福岡市)を会場に、初日の11月12日(日)から千秋楽の11月26日(日)までの15日間開催された。
タイトル | 人物(所属部屋 出身地) - 成績 | |
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幕内最高優勝 | 若乃花勝(二子山部屋 東京都中野区出身) - 12勝3敗(16場所ぶり2回目) ※優勝決定戦勝利 | |
三賞 | 殊勲賞 | 土佐ノ海敏生(伊勢ノ海部屋 高知県安芸市出身) - 9勝6敗(初受賞) |
敢闘賞 | 魁皇博之(友綱部屋 福岡県直方市出身) - 9勝6敗(初受賞) 湊富士孝行(湊部屋 群馬県安中市出身) - 8勝7敗(初受賞) | |
技能賞 | 土佐ノ海敏生(伊勢ノ海部屋 高知県安芸市出身) - 9勝6敗(初受賞) | |
十両優勝 | 和歌乃山洋(武蔵川部屋 和歌山県御坊市出身) - 11勝4敗 ※優勝決定戦勝利 |
→詳細は「大相撲平成7年11月場所」を参照
受賞
編集- 年間最優秀力士賞(年間最多勝):貴乃花光司(80勝10敗)
新弟子検査合格者
編集場所 | 主な合格者 | 四股名 | 最高位 | 最終場所 | 備考 |
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1月場所 | 堤内康仁 | 北勝光康仁 | 十両10枚目 | 2001年1月場所 | |
3月場所 | 谷地仁 | 栃乃花仁 | 小結 | 2008年1月場所 | |
齋藤剛 | 大碇剛 | 前頭11枚目 | 2004年11月場所 | 幕下最下位格付出 | |
南大地 | 豊乃國大地 | 十両13枚目 | 2013年9月場所 | ||
5月場所 | |||||
7月場所 | |||||
9月場所 | |||||
11月場所 | 中尾浩規 | 若孜浩気 | 前頭12枚目 | 2006年7月場所 |
引退・廃業
編集場所 | 主な引退力士 | 最高位 | 初土俵 | 備考 |
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1月場所 | 剛堅大二朗 | 十両5枚目 | 1980年9月場所 | |
3月場所 | 琴椿克之 | 前頭3枚目 | 1976年3月場所 | 年寄「白玉」襲名 |
5月場所 | 剣岳寛 | 十両11枚目 | 1984年3月場所 | |
7月場所 | ||||
9月場所 | 琴富士孝也 | 関脇 | 1980年3月場所 | 年寄「粂川」襲名 |
11月場所 | 隆三杉太一 | 小結 | 1976年3月場所 | 年寄「藤島」襲名 |
起利錦利郎 | 前頭2枚目 | 1978年3月場所 | 年寄「立川」襲名 | |
大翔山直樹 | 前頭2枚目 | 1989年1月場所(幕下最下位格付出) | 年寄「中川」襲名 | |
駒不動大助 | 前頭13枚目 | 1984年1月場所 | ||
秀ノ海渡累 | 十両9枚目 | 1985年5月場所 |
誕生
編集死去
編集- 1月26日 - 蔵間竜也(最高位:関脇、所属:時津風部屋、* 1952年【昭和27年】)[9]
- 3月31日 - 若ノ海正照(最高位:前頭2枚目、所属:花籠部屋、* 1945年【昭和20年】)[10]
- 5月11日 - 増巳山豪(最高位:前頭13枚目、所属:三保ヶ関部屋→出羽海部屋→三保ヶ関部屋、* 1922年【大正11年】)[11]
- 6月4日 - 秀湊忠司(最高位:前頭17枚目、所属:出羽海部屋、* 1926年【大正15年】)[12]
- 6月18日 - 7代式守錦之助(元・三役格行司、所属:浦風部屋→伊勢ヶ濱部屋、* 1926年【大正15年】)
- 7月20日 - 福ノ海七男(最高位:前頭10枚目、所属:朝日山部屋、* 1930年【昭和5年】)[13]
- 8月31日 - 田中米太郎(プロレスラー、元序二段桂浜、* 1928年【昭和3年】)
- 9月3日 - 荒駒兵衛(最高位:十両7枚目、所属:湊川部屋、* 1911年【明治44年】)
- 9月16日 - 福ノ里牛之助(最高位:前頭13枚目、所属:宮城野部屋→高島部屋→吉葉山道場、* 1923年【大正12年】)[14]
- 9月20日 - 時葉山敏夫(最高位:前頭2枚目、所属:時津風部屋、年寄:富士ヶ根、* 1944年【昭和19年】)[15]
- 10月3日 - 信濃川藤四郎(最高位:十両11枚目格、所属:鏡山部屋→伊勢ヶ濱部屋、* 1919年【大正8年】)[16]
- 10月3日 - 國登國生(最高位:小結、所属:高砂部屋、* 1925年【大正14年】)[17]
注釈
編集出典
編集- ^ 「元幕内の照強が引退 豪快塩まきで土俵沸かせた小兵力士、現在は幕下」『日刊スポーツ』2024年3月18日。2024年3月18日閲覧。
- ^ 魁勝 旦祈 日本相撲協会公式サイト(2021年8月3日閲覧)
- ^ 白鷹山 亨将 日本相撲協会公式サイト(2021年8月3日閲覧)
- ^ 「令和2年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2020年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、18頁。
- ^ 朝乃若 樹 日本相撲協会公式サイト(2021年11月1日閲覧)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 299頁
- ^ 力真 樹 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ 武将山 虎太郎 日本相撲協会公式サイト(2021年8月3日閲覧)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 193頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 184頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 125頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 138頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 142頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 134頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 172頁
- ^ 「年寄間垣の歴史を振り返る」『相撲』2021年11月号、ベースボール・マガジン社、49頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 129頁
参考文献
編集- 『相撲』誌各号
- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p102