1995年の千葉ロッテマリーンズ
1995年の千葉ロッテマリーンズでは、1995年の千葉ロッテマリーンズにおける動向をまとめる。
1995年の千葉ロッテマリーンズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ2位 | |
69勝58敗3分 勝率.543[1] | |
本拠地 | |
都市 | 千葉県千葉市美浜区 |
球場 | 千葉マリンスタジアム |
球団組織 | |
オーナー |
重光武雄 (代行:重光昭夫) |
経営母体 | ロッテ |
GM | 広岡達朗 |
監督 | ボビー・バレンタイン |
« 1994 1996 » |
この年の千葉ロッテマリーンズは、ボビー・バレンタインが1年だけ監督を務めたシーズンである。
概要
編集前年はパ・リーグ最下位こそ免れたものの、千葉移転前の1986年から9年連続Bクラスと低迷していたチームは、長期低迷から脱すべく、広岡達朗をゼネラルマネージャーに迎えた。広岡は過去にテキサス・レンジャーズ監督を務めていたボビー・バレンタインを新監督に招聘、更にメジャーのスター選手であるフリオ・フランコを加え、チーム再建を図った。
チームは開幕直後に一時低迷したが、伊良部・ヒルマン・小宮山・園川・黒木の先発ローテーションや河本・成本のダブルストッパーが定着すると、次第に成績が上昇した。打線も長打力は欠いたが、堀、フランコ、初芝のクリーンナップが揃って3割打者となる好調ぶりを見せた(この年のパリーグは投高打低で、3割打者はロッテ勢3名と首位打者のイチローのみだった[2])。8月には2位へ浮上したが、阪神・淡路大震災からの復興を掲げ、「がんばろうKOBE」を合言葉に首位を独走していたオリックスとの差を縮めることはできず、2位でシーズンを終えた。
選手やファンが1985年以来10年ぶりのAクラスに湧く一方、巨人型の管理野球を標榜する広岡GMと過度な練習を嫌うバレンタイン監督、および広岡GM子飼いのコーチ陣と監督の確執がシーズン中から報じられた。その確執は最後まで修復されることなく、バレンタイン監督とフランコはシーズン終了後に退団した[3]。なお、チームは翌1996年から再び9年連続Bクラス(2004年まで)と低迷し、この年が事実上は20世紀最後のAクラスとなった。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 中 | 西村徳文 |
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2 | 右 | 平井光親 |
3 | 指 | フランコ |
4 | 左 | インカビリア |
5 | 三 | 初芝清 |
6 | 二 | 南渕時高 |
7 | 一 | 愛甲猛 |
8 | 捕 | 定詰雅彦 |
9 | 遊 | 五十嵐章人 |
投手 | 伊良部秀輝 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | 西武 | -- | 西武 | -- | オリックス | -- | オリックス | -- | オリックス | -- | オリックス | -- |
2位 | ダイエー | 1.0 | オリックス | 2.0 | 西武 | 4.5 | 西武 | 8.5 | ロッテ | 14.0 | ロッテ | 12.0 |
3位 | オリックス | 3.5 | ダイエー | 4.0 | ロッテ | 12.5 | ロッテ | 10.5 | 西武 | 14.5 | 西武 | 12.5 |
4位 | 日本ハム | 4.0 | ロッテ | 6.5 | ダイエー | 13.5 | 日本ハム | 15.5 | 日本ハム | 17.5 | 日本ハム | 22.0 |
5位 | 近鉄 | 6.0 | 近鉄 | 7.0 | 近鉄 | 14.5 | ダイエー | 17.5 | ダイエー | 22.0 | ダイエー | 26.5 |
6位 | ロッテ | 6.5 | 日本ハム | 7.5 | 日本ハム | 16.0 | 近鉄 | 20.0 | 近鉄 | 31.0 | 近鉄 | 32.0 |
期間 成績 |
8勝14敗1分 勝率.364 |
12勝10敗 勝率.545 |
9勝10敗1分 勝率.474 |
13勝5敗1分 勝率.722 |
13勝11敗 勝率.542 |
14勝8敗 勝率.636 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | オリックス・ブルーウェーブ | 82 | 47 | 1 | .636 | 優勝 |
2位 | 千葉ロッテマリーンズ | 69 | 58 | 3 | .543 | 12.0 |
3位 | 西武ライオンズ | 67 | 57 | 6 | .540 | 12.5 |
4位 | 日本ハムファイターズ | 59 | 68 | 3 | .465 | 22.0 |
5位 | 福岡ダイエーホークス | 54 | 72 | 4 | .429 | 26.5 |
6位 | 近鉄バファローズ | 49 | 78 | 3 | .386 | 32.0 |
オールスターゲーム1995
編集→詳細は「1995年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ポジション | 名前 | 選出 回数 |
---|---|---|
投手 | 伊良部秀輝 | 2 |
小宮山悟 | 3 | |
成本年秀 | 初 | |
内野手 | 堀幸一 | 初 |
初芝清 | 2 | |
フランコ | 初 |
- 太字はファン投票による選出。
できごと
編集この節の加筆が望まれています。 |
選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
初芝清 | 打点王 | 80打点 | 初受賞 |
伊良部秀輝 | 最優秀防御率 | 2.53 | 初受賞 |
最多奪三振 | 239個 | 2年連続2度目 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
伊良部秀輝 | 投手 | 2年連続2度目 |
フランコ | 一塁手 | 初受賞 |
初芝清 | 三塁手 | 初受賞 |
ゴールデングラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
フランコ | 一塁手 | 初受賞 |
ドラフト
編集→詳細は「1995年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
網掛けの選手は逆指名による入団
順位 | 選手名 | 守備 | 所属 | 結果 |
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1位 | 澤井良輔 | 内野手 | 銚子商業高 | 入団 |
2位 | 薮田安彦 | 投手 | 新日本製鐵広畑 | 入団 |
3位 | 飯田雅司 | 投手 | 敦賀気比高 | 入団 |
4位 | 早川健一郎 | 外野手 | 日産自動車 | 入団 |
5位 | 松本尚樹 | 内野手 | 住友金属 | 入団 |
6位 | 末広五大 | 内野手 | 熊本工大高 | 入団 |
7位 | 天野勇剛 | 投手 | 仙台育英学園高 | 入団 |
8位 | 大橋晋也 | 捕手 | 駒澤大学 | 拒否・トヨタ自動車入社 |
出典
編集- ^ “年度別成績 1995年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2016年7月3日閲覧。
- ^ 望月遼太 (2023年10月24日). ““投高打低”が生んだHR王「3人同時受賞」 共通点が多数存在する“イチローの1995年””. Full-Count(フルカウント). 2024年2月8日閲覧。
- ^ 【10月17日】1995年(平7) バレンタイン監督解任、GMとのミゾは埋まらずスポニチアネックス 日めくり10月
- ^ 『週刊ベースボール』 1995年12月18日号、ベースボール・マガジン社、98頁。