1986年のロッテオリオンズ
1986年のロッテオリオンズでは、1986年シーズンについてのロッテオリオンズの動向をまとめる。
1986年のロッテオリオンズ | |
---|---|
成績 | |
パシフィック・リーグ4位 | |
57勝64敗9分 勝率.471[1] | |
本拠地 | |
都市 | 神奈川県川崎市 |
球場 | 川崎球場 |
球団組織 | |
オーナー | 重光武雄 |
経営母体 | ロッテ |
監督 | 稲尾和久 |
« 1985 1987 » |
この年のロッテオリオンズは、稲尾和久監督の3年目のシーズンであり、最後のシーズンである。
概要
編集開幕から負けが混む苦しい展開が続き、勝率5割を超えることが出来ない苦しいシーズンとなった。先発ローテーションの柱であった荘勝雄をシーズン途中から抑え投手に配置転換し、荘は49試合登板、11勝5敗18セーブ、防御率3.15と起用に答えた。先発投手陣は仁科時成(10勝12敗、防御率4.98)と深沢恵雄(10勝8敗、防御率4.93)の2人が2桁勝利を上げたが、前年復活した村田兆治は8勝11敗、防御率3.94と2桁勝利に届かなかった。打撃陣では落合博満が打率.360、50本塁打、116打点の活躍で2年連続三冠王を獲得した。西村徳文が36盗塁で盗塁王に輝き、佐藤健一が水上善雄から遊撃手のポジションを奪い、野手転向3年目の愛甲猛が108試合出場と、野手陣の世代交代が図られた。チーム成績は借金7の4位で終わり、このシーズンで稲尾和久監督が解任された。それに反発した落合が中日にトレードに出され、後任監督はこのシーズン限りで現役引退した生え抜きの有藤通世が就任した。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 二 | 西村徳文 |
---|---|---|
2 | 中 | 横田真之 |
3 | 指 | リー |
4 | 一 | 落合博満 |
5 | 左 | 山本功児 |
6 | 右 | 愛甲猛 |
7 | 三 | 有藤道世 |
8 | 捕 | 袴田英利 |
9 | 遊 | 水上善雄 |
投手 | 村田兆治 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1位 | 近鉄 | -- | 近鉄 | -- | 近鉄 | -- | 近鉄 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- |
2位 | 日本ハム | 0.0 | 阪急 | 西武 | 2.0 | 西武 | 4.0 | 近鉄 | 2.0 | 近鉄 | 1.0 | 近鉄 | 2.5 | |
3位 | 阪急 | 3.0 | 日本ハム | 1.5 | 阪急 | 2.5 | 阪急 | 4.5 | 阪急 | 6.5 | 阪急 | 7.0 | 阪急 | 6.5 |
4位 | 西武 | 4.0 | 西武 | 5.0 | 日本ハム | 8.0 | ロッテ | 12.0 | ロッテ | 13.0 | ロッテ | 10.0 | ロッテ | 13.0 |
5位 | ロッテ | 6.5 | ロッテ | 5.0 | ロッテ | 10.5 | 日本ハム | 13.5 | 日本ハム | 17.5 | 日本ハム | 15.5 | 日本ハム | 13.5 |
6位 | 南海 | 7.5 | 南海 | 12.5 | 南海 | 16.0 | 南海 | 17.0 | 南海 | 21.0 | 南海 | 20.5 | 南海 | 21.5 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 西武ライオンズ | 68 | 49 | 13 | .581 | 優勝 |
2位 | 近鉄バファローズ | 66 | 52 | 12 | .559 | 2.5 |
3位 | 阪急ブレーブス | 63 | 57 | 10 | .525 | 6.5 |
4位 | ロッテオリオンズ | 57 | 64 | 9 | .471 | 13.0 |
5位 | 日本ハムファイターズ | 57 | 65 | 8 | .467 | 13.5 |
6位 | 南海ホークス | 49 | 73 | 8 | .402 | 21.5 |
オールスターゲーム1986
編集→詳細は「1986年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
コーチ | ファン投票 | 監督推薦 |
---|---|---|
稲尾和久 | 選出なし | 村田兆治 落合博満 高沢秀昭 |
できごと
編集選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー | |||
---|---|---|---|
選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
落合博満 | 首位打者 | .360 | 2年連続5度目 |
本塁打王 | 50本 | 2年連続3度目 | |
打点王 | 116打点 | 2年連続3度目 | |
最高出塁率 | .487 | 2年連続3度目 | |
史上10度(6人)目、2年連続の三冠王達成 | |||
西村徳文 | 盗塁王 | 36個 | 初受賞 |
ベストナイン | ||
---|---|---|
選手名 | ポジション | 回数 |
落合博満 | 三塁手 | 3年連続3度目[注 1] |
横田真之 | 外野手 | 2年連続2度目 |
ゴールデングラブ賞 | ||
選出なし |
ドラフト
編集→詳細は「1986年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
---|---|---|---|---|
1位 | 関清和 | 投手 | 専修大学 | 入団 |
2位 | 森廣二 | 投手 | 岡山理科大学附属高 | 入団 |
3位 | 青柳進 | 捕手 | 西日本短期大学附属高 | 入団 |
4位 | 佐藤幸彦 | 内野手 | 拓殖大学紅陵高 | 入団 |
5位 | 永野吉成 | 投手 | 熊本工業高 | 入団 |
6位 | 大美健二 | 投手 | 岡崎工業高 | 入団 |
脚注
編集注釈
編集- ^ 一塁手部門で1度、二塁手部門で2度受賞しており、通算6度目。
出典
編集- ^ “年度別成績 1986年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年4月15日閲覧。
- ^ 『読売新聞』1986年5月1日付朝刊、14版、17面
- ^ 『読売新聞』1986年6月1日付朝刊、14版、17面
- ^ 『読売新聞』1986年6月30日付朝刊、14版、16面
- ^ 『読売新聞』1986年8月1日付朝刊、14版、17面
- ^ 『読売新聞』1986年9月1日付朝刊、14版、16面
- ^ 『読売新聞』1986年10月1日付朝刊、14版、16面
- ^ “千葉ロッテマリーンズ公式HP 歴代所属選手”. 千葉ロッテマリーンズ. 2017年4月15日閲覧。