1983年の近鉄バファローズ
1983年の近鉄バファローズ(1983ねんのきんてつバファローズ)では、1983年の近鉄バファローズの動向をまとめる。
1983年の近鉄バファローズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ4位 | |
52勝65敗13分 勝率.444[1] | |
本拠地 | |
都市 | 大阪府大阪市中央区 |
球場 | 日本生命球場 |
球団組織 | |
オーナー | 佐伯勇 |
経営母体 | 近畿日本鉄道 |
監督 | 関口清治 |
« 1982 1984 » |
この年の近鉄バファローズは、関口清治監督の2年目のシーズンである。また、日本生命球場をメインの本拠地とした最後のシーズンである。
概要
編集この年からパ・リーグは11年ぶりに1シーズン制に戻ったが、2位とのゲーム差が5ゲームある場合はプレーオフを開催のルールが盛り込まれた。関口監督の1年目を3位で終えたチームは優勝候補にあげられたが、前年優勝の西武が開幕から独走すると阪急や日本ハムなどが追いかける展開が続いた。打撃陣ではこの年から大石大二郎が1番を打ち、栗橋茂や羽田耕一もそれなりの成績を収めたが前年限りで引退した佐々木恭介の穴を埋めることはできなかった。投手陣ではV2メンバーの鈴木啓示・柳田豊がローテーションを守って奮闘し、谷宏明も台頭するなど明るい話題はあったがベテランの太田幸司が巨人へ、井本隆がヤクルトへそれぞれトレードで移籍した影響もあり先発陣も弱体化し、チーム防御率が4.49のリーグ4位に転落。投打ともに誤算の続いたチームは8月以降南海を抜き4位に浮上するのがやっとで、最終的に西武に29ゲーム以上、2位の阪急に12ゲームも付けられ関口監督は責任を取って辞任した。対戦成績では最下位のロッテに16勝6敗4分と大きく勝ち越したが、逆に優勝の西武には5勝19敗2分と大きく負け越し西武V2のアシスト役となってしまった。
チーム成績
編集1 | 二 | 大石大二郎 |
---|---|---|
2 | 右 | マイク |
3 | 指 | ハリス |
4 | 左 | 栗橋茂 |
5 | 三 | 羽田耕一 |
6 | 中 | 平野光泰 |
7 | 捕 | 梨田昌孝 |
8 | 一 | 金村義明 |
9 | 遊 | 森脇浩司 |
投手 | 谷宏明 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- |
2位 | ロッテ | 0.5 | 阪急 | 8.0 | 日本ハム | 12.0 | 日本ハム | 14.0 | 日本ハム | 11.5 | 阪急 | 16.0 | 阪急 | 17.0 |
3位 | 阪急 | 2.5 | 日本ハム | 8.5 | 阪急 | 12.0 | 阪急 | 14.5 | 阪急 | 15.0 | 日本ハム | 18.0 | 日本ハム | 20.5 |
4位 | 日本ハム | 3.5 | 南海 | 9.0 | 南海 | 15.0 | 南海 | 16.0 | 近鉄 | 21.0 | 近鉄 | 26.0 | 近鉄 | 29.5 |
5位 | 南海 | 4.0 | 近鉄 | 11.0 | 近鉄 | 15.0 | 近鉄 | 16.5 | 南海 | 25.0 | 南海 | 28.5 | 南海 | 31.5 |
6位 | 近鉄 | 4.5 | ロッテ | 11.5 | ロッテ | 21.0 | ロッテ | 26.0 | ロッテ | 32.5 | ロッテ | 37.5 | ロッテ | 39.5 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 西武ライオンズ | 86 | 40 | 4 | .683 | 優勝 |
2位 | 阪急ブレーブス | 67 | 55 | 8 | .549 | 17.0 |
3位 | 日本ハムファイターズ | 64 | 59 | 7 | .520 | 20.5 |
4位 | 近鉄バファローズ | 52 | 65 | 13 | .444 | 29.5 |
5位 | 南海ホークス | 52 | 69 | 9 | .430 | 31.5 |
6位 | ロッテオリオンズ | 43 | 76 | 11 | .361 | 39.5 |
オールスターゲーム1983
編集→詳細は「1983年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
コーチ | ファン投票 | 監督推薦 |
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関口清治 | 大石大二郎 羽田耕一 |
鈴木啓示 梨田昌崇 |
- 取り消し線は出場辞退した選手
できごと
編集選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
大石大二郎 | 盗塁王 | 60個 | 初受賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
大石大二郎 | 二塁手 | 初受賞 |
ダイヤモンドグラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
梨田昌崇 | 捕手 | 2年ぶり4度目 |
大石大二郎 | 二塁手 | 2年連続2度目 |
ドラフト
編集→詳細は「1983年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
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1位 | 小野和義 | 投手 | 創価高 | 入団 |
2位 | 吉井理人 | 投手 | 箕島高 | 入団 |
3位 | 村上隆行 | 投手 | 大牟田高 | 入団 |
4位 | 光山英和 | 捕手 | 上宮高 | 入団 |
5位 | 安達俊也 | 内野手 | 愛知工業大学名電高 | 入団 |
6位 | 近藤章仁 | 投手 | 清工建設 | 入団 |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “年度別成績 1983年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年4月19日閲覧。
- ^ LEGEND OF Bs 2012 ~劇的、激動の80's~オリックス・バファローズ公式HP
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。