1972年 > 1972年のスポーツ > 1972年の相撲

1972年の相撲(1972ねんのすもう)は、1972年の相撲関係のできごとについて述べる。

アマチュア

編集

大相撲

編集

できごと

編集
  • 1月9日 - 1月場所初日。北の湖が18歳7ヶ月の史上最年少で入幕。初日から北の富士琴櫻の横綱・大関戦が組まれ、従来の慣行を打ち破る取組が組まれた[1][2]
  • 1月16日 - 1月場所8日目の横綱・北の富士対貴ノ花戦で北の富士の右手が先についたとして、25代木村庄之助は貴ノ花に軍配を上げる。しかし、物言いがつき「かばい手」か「つき手」か論争となる。協議の結果軍配差し違えで北の富士の勝ちとなり、25代木村庄之助は謹慎処分に[3][4]
  • 1月23日 - 1月場所は栃東が優勝。11勝4敗の優勝は15日制になってからは最低の成績となった[3]
  • 1月27日 - 相撲協会の役員改選。一門の割り振りの関係で理事や監事(現副理事)になれない親方の中から「役員待遇」者を設け、各部の副部長に抜擢することとした。役員改選で高砂が新理事となり、新監事に出羽海と武隈が就任。事業部長は春日野。審判部長は一人となり高砂が就任、副部長に出羽海と二子山(役員待遇)[5][6]
  • 1月31日2月6日 - ハワイ巡業[5][6]
  • 3月1日 - 25代木村庄之助が辞表を提出(6日受理)。庄之助は当面空位に[5][6]
  • 3月18日 - 井筒親方(元前頭2枚目鶴ヶ嶺)死去[5][6]
  • 3月24日 - 3月場所12日目の琴櫻-前の山戦を相撲競技監察委員会無気力相撲と認定し、両力士の師匠に注意[7]。監察委が無気力相撲を認定した初のケース。
  • 3月24日 - 3月場所で2度の軍配差し違えがあった22代式守伊之助に1日の謹慎処分[7]。13日目は史上初の立行司なしとなった。
  • 4月25日 - 井筒部屋で後継者問題が起こる。陸奥(元前頭4枚目星甲)が井筒を襲名し、君ヶ濱(元関脇鶴ヶ嶺)は分家独立することになったが、弟子の所属を巡り両者でもめる。27日に錦洋と幕下3力士を君ヶ濱部屋に移籍させることで決着[5][6]
  • 5月15日 - 5月場所初日。先場所途中休場した前の山が大関から陥落して関脇となる[1][6]
  • 7月2日 - 7月場所初日。史上初の5関脇に[5][6]
  • 7月16日 - 7月場所は高見山大五郎高砂部屋)が外国出身力士として初めて幕内最高優勝を果たす[8][6][9]
  • 8月23日 - 7月場所で優勝した高見山がハワイへ凱旋。現地で優勝パレードを行う[10][6]
  • 8月28日 - 9月場所の番付が発表され、牧本は初土俵以来、12年76場所目で新入幕。これは当時の新入幕までの最遅記録となった。また、公傷制度が初めて適用され、幕下宍戸、十両の大潮鷲羽山が前地位に張り出しとなった[11][6]
  • 9月17日 - 9月場所8日目に天皇皇后観戦。
  • 9月24日 - 9月場所千秋楽に皇太子一家観戦[11][6]。貴ノ花輪島戦は大相撲史上屈指の名勝負として語り継がれている[12]
  • 9月27日 - 番付編成会議で貴ノ花(二子山部屋)と輪島花籠部屋)の大関同時昇進が決定[11][6]
  • 11月24日 - 22代式守伊之助の26代木村庄之助襲名が決定し、伊之助は空位となる[11][6]
  • 11月26日 - 11月場所で琴櫻が優勝[11][6]。年6場所制導入後、はじめて6場所とも幕内優勝者が異なるという結果となった。

本場所

編集

誕生

編集

死去

編集

脚注

編集
  1. ^ a b 『激動の昭和スポーツ史』, p. 94
  2. ^ 『大相撲戦後70年史』, p. 71.
  3. ^ a b 『激動の昭和スポーツ史』, p. 94-95
  4. ^ 『大相撲戦後70年史』, p. 70-71.
  5. ^ a b c d e f 『激動の昭和スポーツ史』, p. 95
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『大相撲戦後70年史』, p. 70
  7. ^ a b 朝日新聞1972年3月24日付夕刊
  8. ^ 『激動の昭和スポーツ史』, p. 95-96.
  9. ^ 『熱き男たちの系譜 : 大相撲名古屋場所50年/報道写真集』中日新聞社、2007年、50-51頁。 
  10. ^ 『激動の昭和スポーツ史』, p. 96-97.
  11. ^ a b c d e 『激動の昭和スポーツ史』, p. 97
  12. ^ 「歴史ポケットスポーツ新聞相撲」荒井太郎著
  13. ^ 【今日は何の日】高見山が優勝 - 産経フォト
  14. ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 240頁
  15. ^ 富風 悟 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
  16. ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 237頁
  17. ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 239頁
  18. ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 241頁
  19. ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 232頁
  20. ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 247頁
  21. ^ 「令和3年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2021年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、37頁。 
  22. ^ 北勝光 康仁 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
  23. ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 236頁
  24. ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 226頁
  25. ^ 須佐の湖 善誉 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
  26. ^ 琴岩国 武士 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
  27. ^ 琴乃峰 篤実 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
  28. ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 89頁
  29. ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 95頁
  30. ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 54頁
  31. ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 109頁
  32. ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 45頁
  33. ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 28頁

参考文献

編集
  • 『相撲』誌各号
  • 『激動の昭和スポーツ史 12 相撲 下』ベースボール・マガジン社、1989年。 
  • 『大相撲「戦後70年史」 : 1945-2015 : 永久保存版』ベースボール・マガジン社、2015年。ISBN 978-4-583-62292-7