1965年の近鉄バファローズ
1965年の近鉄バファローズでは、1965年の近鉄バファローズの動向をまとめる。
1965年の近鉄バファローズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ6位 | |
46勝92敗2分 勝率.333[1] | |
本拠地 | |
都市 | 大阪府大阪市 |
球場 | 日本生命球場 |
球団組織 | |
オーナー | 佐伯勇 |
経営母体 | 近畿日本鉄道 |
監督 | 岩本義行 |
« 1964 1966 » |
この年の近鉄バファローズは、岩本義行監督の1年目のシーズンである。
概要
編集前年のシーズン終了後に別当薫前監督が最下位の責任を取って辞任すると、別当体制で打撃コーチを務め、東映の監督を務めたこともある岩本義行監督がこの年から就任。岩本新監督はチーム若返りのため、関根潤三を巨人へ、首位打者経験者のジャック・ブルームフィールド(ブルーム)を南海へそれぞれ放出した。打つだけの野球に限界があったことから機動力強化のためロベルト・バルボンを阪急から獲得してチーム再建を図るが、チームは開幕から最下位を独走していった。それでも、この年は2位以下が団子レースだったこともあり、最下位脱出のチャンスが訪れたが8月以降は負けが込み、力及ばず借金46で2年連続の最下位に終わった。投手陣は徳久利明の10勝以外は不調で、佐々木宏一郎もリーグ最多の20敗を記録しチーム防御率もリーグ最下位の3.61を記録した。打撃陣では土井正博が24本塁打を打って4番の役目を果たしたが、切り込み隊長として期待されたバルボンが11盗塁に終わり、往年の力を発揮できず本塁打・盗塁ともにリーグ最下位に終わった。シーズン終了後、バルボンがこの年限りで引退した。(バルボンは、その後1974年に阪急のコーチとして球界に復帰した。)
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 遊 | バルボン |
---|---|---|
2 | 二 | 安井俊憲 |
3 | 三 | 小玉明利 |
4 | 左 | 土井正博 |
5 | 中 | 山本八郎 |
6 | 一 | 島田光二 |
7 | 右 | 小森光生 |
8 | 捕 | 吉沢岳男 |
9 | 投 | 徳久利明 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- |
2位 | 東京 | 2.5 | 東京 | 10.5 | 東映 | 18.0 | 東映 | 21.5 | 阪急 | 25.0 | 東映 | 22.0 | 東映 | 12.0 |
3位 | 西鉄 | 3.0 | 西鉄 | 10.5 | 東京 | 20.5 | 西鉄 | 26.0 | 西鉄 | 25.0 | 西鉄 | 22.5 | 西鉄 | 15.5 |
4位 | 東映 | 3.5 | 阪急 | 11.5 | 阪急 | 21.5 | 東京 | 28.0 | 東映 | 26.0 | 阪急 | 24.5 | 阪急 | 21.5 |
5位 | 近鉄 | 5.5 | 東映 | 12.0 | 西鉄 | 22.0 | 阪急 | 28.0 | 東京 | 29.5 | 東京 | 30.0 | 東京 | 25.5 |
6位 | 阪急 | 6.5 | 近鉄 | 15.5 | 近鉄 | 23.0 | 近鉄 | 31.5 | 近鉄 | 38.5 | 近鉄 | 42.0 | 近鉄 | 42.5 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 南海ホークス | 88 | 49 | 3 | .642 | 優勝 |
2位 | 東映フライヤーズ | 76 | 61 | 3 | .555 | 12.0 |
3位 | 西鉄ライオンズ | 72 | 64 | 4 | .529 | 15.5 |
4位 | 阪急ブレーブス | 67 | 71 | 2 | .486 | 21.5 |
5位 | 東京オリオンズ | 62 | 74 | 4 | .456 | 25.5 |
6位 | 近鉄バファローズ | 46 | 92 | 2 | .333 | 42.5 |
オールスターゲーム1965
編集→詳細は「1965年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ファン投票 | 高木喬 | 小玉明利 | ||
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監督推薦 | 徳久利明 | 吉沢岳男 | 山本八郎 | 土井正博 |
できごと
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選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー |
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受賞者なし |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
高木喬 | 一塁手 | 初受賞 |
小玉明利 | 三塁手 | 4年連続5度目 |
ドラフト
編集→詳細は「1965年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | 守備 | 所属 | 結果 |
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1位 | 田端謙二郎 | 投手 | 電電九州 | 入団 |
2位 | 鈴木啓示 | 投手 | 育英高 | 入団 |
3位 | 長井繁夫 | 内野手 | PL学園高 | 拒否・中央大学進学 |
4位 | 飯田幸夫 | 内野手 | 横浜高 | 入団 |
5位 | 松原良明 | 外野手 | 米子工業高 | 入団 |
6位 | 田中章 | 投手 | 日本通運 | 拒否 |
7位 | 渡辺立也 | 捕手 | 徳島商業高 | 拒否・関西大学進学 |
8位 | 得津高宏 | 外野手 | PL学園高 | 拒否・クラレ岡山入社 |
9位 | 金子準一 | 投手 | 今治南高 | 拒否・同年ドラフト外で西鉄入団 |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b “年度別成績 1965年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月30日閲覧。
- ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 138
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。