1957年ペスカーラグランプリ
1957年ペスカーラグランプリ (1957 Pescara Grand Prix) は、1957年のF1世界選手権第7戦として、1957年8月18日にペスカーラ・サーキットで開催された。
レース詳細 | |||
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1957年F1世界選手権全8戦の第7戦 | |||
日程 | 1957年8月18日 | ||
正式名称 | XXV Circuito di Pescara | ||
開催地 |
ペスカーラ・サーキット イタリア ペスカーラ | ||
コース | 公道コース | ||
コース長 | 25.8 km (16.032 mi) | ||
レース距離 | 18周 464.4 km (288.576 mi) | ||
決勝日天候 | 晴(ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | マセラティ | ||
タイム | 9:44.6 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | スターリング・モス | ヴァンウォール | |
タイム | 9:44.6 | ||
決勝順位 | |||
優勝 | ヴァンウォール | ||
2位 | マセラティ | ||
3位 | マセラティ |
レース概要
編集F1世界選手権では初開催[1]となったペスカーラ・サーキットは1周の距離が25.8kmでニュルブルクリンク北コース(22.81km)よりも長く、F1史上最長コースである。次戦のイタリアGPと連戦で行われ、F1では初めて同一国内で年間2戦が開催されることになった。フェラーリは5月に行われたミッレミリアの大惨事以後、公道コースでのレース参加を見合わせていたが、ルイジ・ムッソの熱心な説得に折れて1台のみ参加した[2]。
前戦ドイツGPでロードホールディングに苦しんだヴァンウォールはマシンの改良作業が功を奏し、スターリング・モスが2位のファン・マヌエル・ファンジオに3分以上の差を付けて優勝した[3]。40年後、リチャード・ウィリアムズの著書"The Last Road Race"の中でモスは当レースについて「素晴らしいと思ったよ。暴走する若者の気分さ。実に楽しかった。これがレースというものだよ」と語っている[4]。
ペスカーラでのF1世界選手権開催はこの年のみで、安全上の問題から1961年を最後に使用されなくなった。
エントリーリスト
編集No. | ドライバー | エントラント | コンストラクター | シャシー | エンジン | タイヤ |
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2 | ファン・マヌエル・ファンジオ | オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
4 | ジャン・ベーラ | |||||
6 | ハリー・シェル | |||||
8 | ジョルジオ・スカルラッティ | |||||
10 | パコ・ゴディア | |||||
12 | ルイジ・ピオッティ | ルイジ・ピオッティ | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
14 | マステン・グレゴリー | スクーデリア・セントロ・スッド | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
16 | ヨアキム・ボニエ | |||||
18 | ホレース・グールド | H.H. グールド | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | D |
20 | ブルース・ハルフォード | ブルース・ハルフォード | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | D |
22 | ロイ・サルヴァドーリ | クーパー・カー・カンパニー | クーパー | T43 | クライマックス FPF 2.0L L4 | D |
24 | ジャック・ブラバム | |||||
26 | スターリング・モス | ヴァンダーヴェル・プロダクツ・リミテッド | ヴァンウォール | VW5 | ヴァンウォール 254 2.5L L4 | P |
28 | トニー・ブルックス | |||||
30 | スチュアート・ルイス=エヴァンズ | |||||
34 | ルイジ・ムッソ | スクーデリア・フェラーリ | フェラーリ | 801 | フェラーリ DS50 2.5L V8 | E |
ソース:[5] |
結果
編集予選
編集順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | ファン・マヌエル・ファンジオ | マセラティ | 9:44.6 | — |
2 | 26 | スターリング・モス | ヴァンウォール | 9:54.7 | 10.1 |
3 | 34 | ルイジ・ムッソ | フェラーリ | 10:00.0 | 15.4 |
4 | 4 | ジャン・ベーラ | マセラティ | 10:03.1 | 18.5 |
5 | 6 | ハリー・シェル | マセラティ | 10:04.6 | 20.0 |
6 | 28 | トニー・ブルックス | ヴァンウォール | 10:08.8 | 24.2 |
7 | 14 | マステン・グレゴリー | マセラティ | 10:26.1 | 41.5 |
8 | 30 | スチュアート・ルイス=エヴァンズ | ヴァンウォール | 10:29.6 | 45.0 |
9 | 16 | ヨアキム・ボニエ | マセラティ | 10:36.2 | 51.6 |
10 | 8 | ジョルジオ・スカルラッティ | マセラティ | 10:36.6 | 52.0 |
11 | 18 | ホレース・グールド | マセラティ | 10:49.6 | 1:05.0 |
12 | 10 | パコ・ゴディア | マセラティ | 11:09.8 | 1:25.2 |
13 | 12 | ルイジ・ピオッティ | マセラティ | 11:10.6 | 1:26.0 |
14 | 20 | ブルース・ハルフォード | マセラティ | 11:16.3 | 1:31.7 |
15 | 22 | ロイ・サルヴァドーリ | クーパー-クライマックス | 11:24.2 | 1:39.6 |
16 | 24 | ジャック・ブラバム | クーパー-クライマックス | 11:35.2 | 1:50.6 |
ソース:[6] |
決勝
編集順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 26 | スターリング・モス | ヴァンウォール | 18 | 2:59:22.7 | 2 | 9 1 |
2 | 2 | ファン・マヌエル・ファンジオ | マセラティ | 18 | 3:13.9 | 1 | 6 |
3 | 6 | ハリー・シェル | マセラティ | 18 | 6:46.8 | 5 | 4 |
4 | 14 | マステン・グレゴリー | マセラティ | 18 | 8:16.5 | 7 | 3 |
5 | 30 | スチュアート・ルイス=エヴァンズ | ヴァンウォール | 17 | 1 Lap | 8 | 2 |
6 | 8 | ジョルジオ・スカルラッティ | マセラティ | 17 | 1 Lap | 10 | |
7 | 24 | ジャック・ブラバム | クーパー-クライマックス | 15 | 3 Laps | 16 | |
Ret | 34 | ルイジ・ムッソ | フェラーリ | 9 | オイル漏れ | 3 | |
Ret | 10 | パコ・ゴディア | マセラティ | 9 | エンジン | 12 | |
Ret | 20 | ブルース・ハルフォード | マセラティ | 9 | トランスミッション | 14 | |
Ret | 16 | ヨアキム・ボニエ | マセラティ | 7 | オーバーヒート | 9 | |
Ret | 4 | ジャン・ベーラ | マセラティ | 3 | オイル漏れ | 4 | |
Ret | 22 | ロイ・サルヴァドーリ | クーパー-クライマックス | 3 | アクシデント | 15 | |
Ret | 28 | トニー・ブルックス | ヴァンウォール | 1 | エンジン | 6 | |
Ret | 18 | ホレース・グールド | マセラティ | 0 | アクシデント | 11 | |
Ret | 12 | ルイジ・ピオッティ | マセラティ | 0 | エンジン | 13 | |
ソース:[7]
|
- 追記
注記
編集- ポールポジションのファン・マヌエル・ファンジオが9分44秒6だったのに対し、予選最下位のジャック・ブラバムは11分35秒2と2分弱遅かった。多くのドライバーがペスカーラ・サーキットで走った経験がなく(2位のスターリング・モスでも10秒差で、5位以下は20秒以上の差があった)、ブラバムが乗ったクーパーは排気量が2.0Lしかないコヴェントリー・クライマックスエンジンを使用したためである(ペスカーラ・サーキットは「パワーサーキット」であった)。
第7戦終了時点のランキング
編集- ドライバーズ・チャンピオンシップ
順位 | ドライバー | ポイント | |
---|---|---|---|
1 | ファン・マヌエル・ファンジオ | 40 | |
4 | 2 | スターリング・モス | 17 |
1 | 3 | ルイジ・ムッソ | 16 |
1 | 4 | マイク・ホーソーン | 13 |
1 | 5 | トニー・ブルックス | 10 |
- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。
脚注
編集- ^ これ以前に1950年・1951年・1954年に非選手権レースとして開催されている。1954年はF2と混走。
- ^ (林信次 1999, p. 40-41)
- ^ (林信次 1999, p. 41)
- ^ “トップ10:オールドサーキット”. ESPN F1. (2010年6月10日) 2010年6月13日閲覧。
- ^ “Pescara 1957 - Race entrants”. statsf1.com. 2018年1月24日閲覧。
- ^ “Pescara 1957 - Qualifications”. statsf1.com. 2018年1月23日閲覧。
- ^ “1957 Pescara Grand Prix”. formula1.com. 25 October 2017閲覧。
参照文献
編集- 林信次『F1全史 1956-1960』ニューズ出版、1999年。ISBN 4-938495-27-9。
外部リンク
編集前戦 1957年ドイツグランプリ |
FIA F1世界選手権 1957年シーズン |
次戦 1957年イタリアグランプリ |
ペスカーラグランプリ |