鳥売
中世に存在した鳥類等を行商する者
鳥売(とりうり)は、中世(12世紀 - 16世紀)期にかつて存在した鳥類等を行商する者であり、かつて京都に存在した「鳥三座」の商業者である[1]。
略歴・概要
編集鎌倉中期(13世紀)に内膳司御厨子所が、平安京の三条大路(現在の三条通)よりも南の地区において、「魚鳥精進菓子交易の輩」(「魚・鳥・野菜・菓子を販売する商業者」の意)を「御厨子所供御人」として抱える代わりに、課税した[1]。この「御厨子所供御人」が、のちの「鳥三座」のうちの「三条座」の前身にあたる[1]。
室町時代、15世紀末の1494年(明応3年)に編纂された『三十二番職人歌合』の冒頭には、「いやしき身なる者」として、「菜うり」(菜売)とともに「鳥売」として紹介され、描かれている[2]。
戦国時代、天文年間(1532年 - 1555年)の京都には、鳥を商う「鳥三座」が存在した[1]。
「鳥三座」が対象とした商品は、
- 鳥 - 雁(マガン、カリガネ)、雉(キジ)、鶴(マナヅル)
- 狼(ニホンオオカミ)
- 猿(ニホンザル)
- 兎(ニホンノウサギ)
- 狐(ホンドギツネ)
- 狸(ホンドタヌキ、あるいはニホンアナグマ)
- 獺(ニホンカワウソ)
- 黐(トリモチ) - 鳥餅座
等であった[1][3]。狩猟に使用する「トリモチ」を除きいずれも食用である[3]。いずれも狩猟により収獲したものであって家畜ではなく、牛・馬あるいは豚等は扱われていない[1]。1544年(天文13年)、祇園社(現在の八坂神社)に所属する「犀鉾神人」(さいのほこじにん)を名乗る神人が鳥の販売を行い、独占権をもつ鳥三座が当時の御厨子所別当・山科言継に対して抗議した記録がある。
1768年(明和5年11月)に初演された、長唄『吉原雀』で知られる顔見世狂言『男山弓勢競』に「男鳥売、実は八幡太郎義家」、「女鳥売、実は鷹の精」という役が登場する[4]。「八幡太郎義家」とは源義家(1039年 - 1106年)であり、11世紀を舞台にしていることになる。
脚注
編集参考文献
編集- 『座の研究 1』、豊田武、吉川弘文館、1982年3月 ISBN 4642025618
- 『江戸時代の職人尽彫物絵の研究 - 長崎市松ノ森神社所蔵』、小山田了三・本村猛能・角和博・大塚清吾、東京電機大学出版局、1996年3月 ISBN 4501614307
- 『戦国時代の宮廷生活』、奥野高広、続群書類従完成会、2004年2月 ISBN 4797107413