隋代が成立すると兗州が設置され3郡12県を管轄した。596年(開皇16年)に泰州が分割設置されたが、605年(大業元年)には廃止となり再び兗州に統合され、更に兗州も魯州と改称された。607年(大業3年)、郡制施行に伴い魯州は魯郡と改称され下部に10県を管轄した。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
隋代の行政区画変遷 | |||||
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区分 | 開皇元年 | 区分 | 大業3年 | ||
州 | 魯州 | 郡 | 魯郡 | ||
郡 | 高平郡 | 任城郡 | 東平郡 | 県 | 瑕丘県 任城県 曲阜県 鄒県 龔丘県 平陸県 博城県 梁父県 嬴県 泗水県 |
県 | 高平県 任城県 | 魯県 汶陽県 鄒県 平原県 楽平県 |
博平県 奉高県 岱山県 梁父県 嬴県 |
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